坂本龍馬のラ・カンパネッラ?

a0041150_12165612.jpgワーナーより「明治維新のクラシック」という、大河ドラマの坂本龍馬にタイアップしてのCDが発売になりました。この中には斎藤雅広の「ラ・カンパネラ」も選ばれています。さすがにリストのカンパネラは名曲ですから、ワーナーからはオムニバスの名曲CDとしても、これまでも何回か分売になっていますね。

これは2002年の「ザ・ヴィルトゥオーゾ」というCDの中の演奏で、こちらをお持ちの方は私のコメントが読めますので、なぜこういう解釈で演奏されているのかがお分かりだと思うのですが、これだけをカッティングされてしまうとそこが届かないかもしれません。あらためましてそのお話を。

当時はフジ子・ヘミングさんのブームで誰もがカンパネラを弾いていました。フジコさんに対して悪く言うピアニストがいっぱいいるのですが、私は「ファンがいて個性が認められている人」に対して批判するのは、同業者としてはマナー違反だと思いますし、彼女にはクラシック業界のためにもっと成功して欲しいと思っています。ただその時期、たまたま若くて優秀なバリバリの若手男性ピアニスト2人(かなりの有名人です)のカンパネラを聴く機会があり、それがフジコさんも驚くスローテンポで(笑)、まさに「牛のよだれが落ちるさま」を見るかのような演奏でした。確かに遅いからミスもないし、ストレスもなさそうに弾いていました。でも若い人がそれで「良し」としてしまったら生気もなく、まさに音楽界の未来はありません。

彼らに思い出してほしい・・・・もともと「カンパネラ」は超絶技巧の曲です。リストはパガニーニの演奏を聴き「私はパガニーニになるか、気狂いになるしかない」と絶叫して、その超絶的な演奏に心酔しての編曲です。原曲のヴァイオリンの「カンパネラ」は大変スピーディーな曲です。なかなか不可能ですが、弾けるものなら同じテンポでピアノでも弾いてみたいものです。それを最初から放棄し、感じを変えてゆっくりとメランコリックにでも弾けば、容易な低レベルの曲におとしめてしまい、曲の本来の意義が打ち消されます。速さのみならず、技巧曲として豪快に弾きあげるということは、「魂」を求められるベートーヴェンやブラームスの曲とはまた違った、描かなければいけない大切な内容の1つです。ピアノの楽器の音色の美しさがあるので、ゆっくりにはゆっくりで独特の哀感もにじみ出せるし、いくらでも情緒的な演奏は可能ですが、それはコーヒーに醤油を入れて「おいしい」と喜んでいるようなもので、全く正しくありませんし、変質的な趣味とゆがんだ価値観を世に広めてしまうことになり、文化そのものが崩壊します。

a0041150_17482273.jpg多くのお客様が曲に対して誤ったイメージを持ってしまったら、正統的な演奏が評価されなくなり、ましてやカンパネラのように正しい演奏ほどリスクが高いとなれば、ピアニスト側も楽な低い方に流れていく・・・・これではいけない。若い人ならば特に!リストの超絶技巧の曲はそれらしく、ガンガンに弾いて欲しい・・・・おじさんだってこのぐらいはやれるよ(笑)・・・・あの演奏にはそんな願いがありました。そう思ったのは私だけではなかったようで、その後ピアノ界は再び輝きのある名手を求めるようになりました。日本の風潮も努力を惜しむだけの「ゆとり教育」は見直されています。キーシンやツィメルマンもさらに技巧に磨きをかけ、若いピアニストはさらにガンガン弾ける人が世に出、今はランランやユジャ・ワンのような奇跡のようにすばらしいピアニストたちが鬼神がごとく活躍しています。今ピアノ界はあの当時よりずっとまともに、活性化されてきていると思って安心しております。

こうした意見を文章にすると、大変生意気で大きな思い上がりのように思われるかもしれません。申し訳ございません。なので普段は音楽のことをあまり語りたくないと思っているのですが、今回はせっかくの機会でしたから(笑)。でも純粋に「若い人たちにがんばって欲しい」と思って弾いた演奏が、こうして高く評価され続けて、今回は坂本龍馬さんのジャケットに収まっているというのは、何かとてもうれしいです。まことに光栄なことと感謝いたします。歳をとったピアニストが「若い人は技術ばかりで・・・・」等と批判している姿も、それは弾けなくなった自分の保身に過ぎないわけで、どこか醜く嫌いです。若いうちはガンガン弾けなければお話になりません。ぜひがんばって欲しい!といつも応援しています。私は「歳をとってくるとね、ジイさんにはジイさんの魅力ってものも少しはあるんだよ」とか言って、ウィンクしてるようなおじさんでありたいです(笑)。
by masa-hilton | 2010-02-24 22:17 | 音楽・雑記
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