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リハーサル、好調に!

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a0041150_011873.jpga0041150_012963.jpg萩原さんとのリハーサル、前回はイタリアンだったから今度はフレンチ(笑)。今回は自宅だったので行きつけの「パリの朝市」でランチという次第。もう定番なので今さらアップしても・・・・最近打ち合わせに行った時と同じメニューだ。ただ季節が変わってきているので、フォアグラの上にはイチジクだけではなく巨峰のソテーも!これが美味しい!またお魚はグラタン風味のマダイだった。あとはいつもの通り、絶品のコンソメスープと鴨!大満足!店内はおばさまで満席!女性に大人気だ。

リハーサルも無事終了。前回のCDの感想を萩原さんにも聞くと、やはりパユは思ったほど良くないということでリュカ盤。ただ「ブレスは長いけど、ヴィブラートが多いしどうだろう?これはピアニストが上手い!テンポ設定が良く、その上に違和感なくのって吹いてるんだよ」ということだった(笑)。

やはり専門家には見えないところが見える。音楽的に良くて、説得力があって「いいね」みたいなものでも、専門家から見るとほめられない部分があったりする。評論の真嶋さんが「評論家でも楽器の1つは出来なきゃダメだ」と言われているが、まさに弾かない評論家の評価なども、実は全くアテにならないということが真実ということになる。しかし音楽は専門家のものではなく一般の人たちのものである。また人間の嗜好そのものに「絶対」というものはない。そこにジレンマがあると言えばあるのだが、だからこそ面白いということにもなり、野心とともに希望の炎に身を焼くこともあれば「音楽の道などキリがなく報われない」という厭世感を生むことになる。大事なことはベストを尽くすこと。趣味主観主義はそれぞれであっても、一生懸命かどうかだけはすべての人にわかる。

また私たちには人生を大事にすることも必要だ。ものすごく「こだわり」を持って音楽を聴き溺愛している人も、頭痛・吐き気の時に、包丁でザックリ怪我でもした時に、その「こだわり」の耳を持てやしない。所詮音楽はその程度のものである。逆に「こだわり」を持たない音楽家に魅力もないだろうし、「絶対評価」のないその程度のものに人生をかけるからの美学だ!とも言えるのだが(笑)、音楽に人生を喰われてしまってはもったいない。気持ちはいつも緩やかに。健全な肉体に健全な精神は宿ると昔の人は良く言ったもので、肉体ばかりでなく生活が病んでいれば本来の音楽とは別なものが構築されてしまうだろう。世間もやっと秋に移る。美しい季節になってきた。

a0041150_024225.jpga0041150_025532.jpg「太田鮨」に行き久しぶりに「こはだ丼」を作って戴く。私が考案した「かくしメニュー」である。過去ログを見て戴ければわかるけれど、浅くシメた「こはだ」の皮むきを、ガリや奈良漬をまぶし「赤ウニ」の甘さとともに戴く。旨いなあ!そして同じくしめた「サンマ」。こちらも絶品だった。

太田さんのようなちょっと古い江戸前親父だと「イワシやサンマは焼くものだろうっ!」って感覚があるらしい。もちろん北海道に行けばサンマの鮨も良い。旨いよね。そして最近ではどこでも刺身や寿司で気軽に美味しく食べれられるようになっているから、「シメ」で出すというのは、ナマよりも旨くなければ全く無意味になってしまう。ここに勝負と「こだわり」がある。でもこういう「こだわり」はちょっと遊びもあって楽しい。粋な「こだわり」こそが文化なのである。
by masa-hilton | 2010-09-19 00:40 | 日々の出来事
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