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とりあえず「価値観が違う」で済ませておく?

誰かがコラムで「価値観が違う」で済ませるのは失礼な話だと言っていた。「違う」のがわかっているなら、そこを指摘したり説明したり、理解し合ってこそ大人の対応だと言うのだが、それは正論であっても現実的には難しいだろう。

基本的にクラシックの人は、わがままなようでいても「ちゃんとして」いる。それは準備に練習が不可欠だからだ。これが大変なところであり残念なところでもあり(笑)、深められる喜びであり楽しい部分でもある。だから連絡がないとか、曲が決まらないとか、歌手との共演を除いてクラシックの世界では普通はありえない。場合によっては大変失礼なことになる。それは気難しいのではなく、本番を大切に思えば当然だ。楽譜を手配するのも大変。アレンジは1か月前には仕上げるように努力している。丁寧な打ち合わせも必要だ。どんな馴れた曲でもリハーサルはする。リハーサルがなくても良いというのは、よほどの信頼があるか旧知の間であるか、例外的なやむを得ない事情の場合のみ。たとえば丁寧に手をつくせぬ場合があって、そういうことが続くと段々嫌になって引退したりする人もいる。それは実力の問題というよりは価値観を譲れないからだ。そんな人たち同士の共演でも、伝わらない人には伝わらない(笑)。価値観の合わない相手というのは本当にいるものだ。

ポピュラー音楽が売れたり消えたりするのは時の流れだと思うけれど、クラシックにもそういうものがある。ワルターやベームの演奏が最近はくすんで聴こえてくるし、逆にカラヤンの演奏に深い内容を感じたりも出来る。それが良いことなのか悪いことなのか?時代で社会の価値観が変わるのはあたり前だから、一般の嗜好が変わるのも当然で、それを見極めるのも私たちの仕事。しかし個人的な作風まで変化してしまったら何が残るのか?「お気楽に!ピカソだって何回作風を変えたかわからないじゃん!」そう言えたら幸せだ。そういう人が大物として残れるのだろう。

さてさて、こんなことを書いたのは最近のベルリンフィルの演奏を聴いて「ずいぶん色合いが変わったものだ」などと思ったから。素晴らしいとは思うのだけど、どこかにもどかしさがあった。これからはこのスタイルが主流になるのだろうね。それだけのお話。個人的に何か悩みがあるわけじゃない。だって私は簡単に価値観は変えられないから、なんせ不器用だからね(笑)。

ブログやフェイスブック・・・・こんなものがなければ、本来こういうことは一人で静かに考えることだ。日記を公開するような感じも実は趣味じゃない。しかし私はしがらみがないので、正直に本当のことも裏事情も書ける。同時に個人的な考えをアップする自分を不自然に思ったりもする。ここで「価値観」の一端を感じて戴くことも出来るわけだけど、「価値観」は表に出さず秘めておくほうが本来は美しい?そしてとりあえず、全て「価値観」が違うことにして済ませてしまいたい。そうすれば厄介な相手を追求しなくても済む理屈だが、それは今の世では逆で、発信しないことでナメられてしまうこともある。やれやれ。そこへますます便利な新しいアイフォンが(笑)!もう変えた?
by masa-hilton | 2012-09-22 13:42 | 音楽・雑記
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