中村紘子先生の訃報

お元気に回復されていると思っていましたので、本当に驚きました。合掌。

私、またも旅先ですよ。最初に紘子先生のご病気のことを知ったのも「にっぽん丸」でツアーをしていたときでした。あのときもただならぬショックを受けましたが。

紘子先生と知り合ったころといえば、ちょうど私の人生のスランプが始まったころです。先生はもともと、とても応援していてくださったのですよ。でも情けないことに私は、そのあとますます低調になってしまい(笑)、どん底まで落ちそうになりました。そんな折、紘子先生から1枚のはがきが!

「私はあなたを助けてはあげられないけれど、あなたがこのままいなくなってしまうのはとても悲しい。だからがんばってね!」

・・・じっくりと沁みました。その後はご自身の記念演奏会などに私を出演させてくださったり、何かとお気にかけて戴きました。コンサートで私の演奏の出番には、わざわざ舞台袖に出てきて聴いていてくださり「やっぱりあなたは素晴らしいわ」などと言ってハイタッチ!心優しい人でした。

この業界は浮き沈みがある業界ですし、運もあり、また本人の実力・勝負どころのタイミングで人生が大きく傷を負うこともあります。中身は何も変わっていないのに、立場が弱くなっただけで世間は残酷です。いったんスランプになれば、冷たく手のひらを反されて集中砲火をあびせられます。ひどいことも言われましたよ~、恩師ですら手のひらを反し。誰がどんなことをしたか、もちろん一生忘れませんが、恨むのではなく「手のひらを反す人が悪いのではなくて、そうなった自分が悪い」と思うようにしました。でもどれだけ辛いことであったか。そんなときに、ただ一人だけ手のひらを反さなかった人がいます。紘子先生です。先生はそういう人なんです。本当に救われました。私はね、江戸っ子ですから(笑)特に心意気には過敏に感動してしまうタチで、想い出しただけで涙が溢れていけません。

おかげさまでがんばることもできて、皆様からもたくさん応援も戴いて、なんとか復活。紘子先生はとてもお茶目にそれを喜んでくださって。「トゥトゥアンサンブル」というNHKの子供番組を立ち上げることになり、先生に出演をお願いしに行ったときも、わざと「忙しいのよ、困ったわねえ~」と言いつつ、子供が喜びそうな柄のドレスを着てノリノリで登場されたり、「趣味悠々」の番組をやっているときなどは、視聴者に紛れて投書をしてきてくれたりとか(笑)。また私が「火祭りの踊り」を挨拶がわりに弾くのを知って、ルービンシュタインのメダルを「これはあなたが持っていたほうがいいわ、ハイ」って・・・チャッカリと戴いてしまいました。

朝お電話を戴いて、聞きなじみのある声だったので友達のBさんと間違えて「早いじゃ~ん」って出てしまったことも。「あらあら、中村紘子ですけどごめんなさいね」と言われて、驚き飛び起きてギックリ腰になりました(笑)。それ以来しばらくの間、ご用があって私のほうから電話をすると「早いじゃ~ん」と言われてしまうようになりました。何かのご都合で某コンクールの審査員ができなくなられてしまい「あなた、代わりに行って下さる?」との電話。きっと先方はさぞガッカリされているだろうと現地に向かうと、予想を超えた大歓待を受けました。「おかしいな?」と思って聞くと、紘子先生から「私より偉い人が行きますからくれぐれもよろしく」との伝言があったそうな。いたずら心がいっぱいでしたね(笑)。本当に素敵な人でした。

お元気なうちに何か・・・みたいな計画をたまたまお話していた矢先の訃報で、本当に悔やまれます。心からご冥福をお祈りしたいと存じます。
by masa-hilton | 2016-07-29 05:33 | 日々の出来事
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