プーランク「ナゼールの夜」のナゼ~?

早いもので私の新しいCDのリリースの準備が始まりました。レコード会社のほうからメールが来て、そんな時期かとちょっと慌てました。まだタイトルも考え中ですが、レコーディング自体は終わっていますので曲は決定しています。月刊「ショパン」の表紙の写真の時でしたね、何とも華やかにお知らせさせていただきました(笑)、すみません。こうして新しいCDがリリースできますこと、皆様に心から感謝いたします。本当にありがとうございます。

曲は告知の通り、シューマンの「謝肉祭」、スクリャービンの「ワルツ」、プーランクの「ナゼルの夜」です。いずれも大好きな曲ですが、演奏会やレッスンなどを通して私が弾いたのを聴かれて「ぜひレコーディングを」と要望が多かった曲を並べました。選曲についてのエピソードやシューマンについては「ショパン」のインタビューでお話ししましたので、ほかの2曲についてはここで。

スクリャービンの「ワルツ」は、本来は変態系といいますか「くすぐり」系といいますか(笑)、エロティックな陶酔的な情感満載の作品ですから、特殊な個性のピアニストが選ぶような曲でしたが、最近は日本人もしばしば弾く曲になっているようで。色彩感のある演奏が求められますから、とても弾きがいのある作品です。

「ナゼルの夜」はプーランクならではのお洒落でアイロニーも込められた魅惑の作品で、そこに魅入られて取り上げられることも多いものですが、あまり良い演奏に出会えることの少ない作品。とにかく演奏してみると難しいのですよ。よくまとまっていない演奏を耳にしますが、それは無理もないことです。構成力、説得力、ストーリーテラーのような色彩感、加えて音の切れ味も必要なので、ホロヴィッツのような「極めた人」に弾いてもらいたい曲ですよね。テーマのない変奏曲、人物の描写、人間性の裏表、心の仮装パーティーといったところ。

「ナゼルの夜」という題名ですが「ナゼルの夜会」「ナゼルの夕べ」「ナゼールの夜」とも。最近は「ナゼールの夜」でしょうかね。CDの表記は「ナゼール」にしておきましょうか、考え中。

プーランク : ナゼールの夜(前奏曲、8つの変奏、カデンツァ、終曲)


前奏曲 Preambule

変奏1.分別の極み Le comble de la distinction

変奏2.手の上の心臓 Le cœur sur la main

変奏3.磊落と慎重と La desinvolture et la discretion

変奏4.思索の続き La suite dans les idees

変奏5.口車の魅力 Le charme enjoleur

変奏6.自己満足 Le contentement de soi

変奏7.不幸の味 Le goût du malheur

変奏8.老いの警報 Lalerte vieillesse

カデンツァ Cadence

フィナーレ Final

前奏曲の後「カデンツァ」が続きますが、そこにチャプターはつけないのが定例です。この日本語訳も独特ですよね。これナゼ~?です。誰が付けたのかな?非常に皮肉ぽくダークサイドを照らす感じがします。この曲の1つ1つが実際の人物をモデルとしている「肖像画」なのですから、悪意すら感じるものです。ピティナのHPでもこの悪意ある意地悪バージョンが載っていますが、その昔にポール・クロスリーの全集等には異なった訳があって、これを使う人もいます。


前奏曲 Preambule

変奏Ⅰ.やんごとなさの極み Le comble de la distinction

変奏Ⅱ.つつみかくさぬ心 Le cœur sur la main

変奏Ⅲ.無遠慮と遠慮深さ La desinvolture et la discretion

変奏Ⅳ.一途 La suite dans les idees

変奏Ⅴ.心をとろかす魅惑 Le charme enjoleur

変奏Ⅵ.自己満足 Le contentement de soi

変奏Ⅶ.不幸せの風味 Le goût du malheur

変奏Ⅷ.年をとっても明るく元気 Lalerte vieillesse

カデンツァ Cadence

終曲 Final

この二つの邦訳は両方とも誤りではないそうなので、どちらを表記するか迷います。本当はただの日本語訳だからどうでもいいのです(笑)。超めんどくさいですね~。ただうっかりするとイメージ変わってしまいますよ。それにこれを2つつきあわせてみると興味深い物も見えてきます。

「前奏曲」は舞踏会のような華やかさを持ったワルツのような楽想ですが、これだけの人間臭いものが後から続くオープニングですから、退廃的な空気の中で短絡的な官能さを求めて弾きたいものですね。「プレアンブル」は「前口上」というか「序文」のほうが正しいと思いますね。ここはシューマンの「謝肉祭」にならって「前口上」でも良いはずなのですが、これは「前奏曲」なんですね(笑)。これもナゼ~?です。メロディにふっと灯がともるように、弾きたいですね。


このあとにプーランクお得意のアラビア風の音遣いのカデンツァが入ります。最初の曲がエピソードで、それに続いてこちらが前口上なのかもしれませんね。そういう風に弾けないと謎の曲になってしまいがちです。

「分別」は「思慮深い」ことだし「やんごとない」は「高貴な」ことだし、ちょっと違いますよ(笑)。曲が下品なチョコチョコした感じになっているので、皮肉っているのはわかりますね。悪気もなくコソ泥が逃げていくような(夜這いに来た紳士でも良いですが・笑)そんな風情で弾ければ最高でしょうね(笑)。

「つつみかくさぬ心」と「手の上の心臓」は恋心であることは間違いないですが、「手の上の心臓」のほうが恋の不安や興奮を感じさせてロマンティックですね。二つ合わせると「もっと開放的な思い」にしないといけないかもしれません。ちなみにこの曲は昔「マイ・ロマンス」というCDに入れて、これが個性的なアプローチとほめられまして人気も高く、今回の全曲録音につながりました。

「慎重」なのと「遠慮深い」のはずいぶん意味が違うと思いますが、二極を意味しているのは間違いない。曲の感じでは「無遠慮と遠慮深さ」のほうが近い?オドオドしている感じが出せた方が高度だと思いますね。

「思惑の続き」と「一途」は曲もやや謎、まあ「思惑の続き」にしたいかな。

「心をとろかす」のが「口車」だというのが爆笑ですが、曲はとてもステキな曲ですし、フィナーレでも回想されてくるので重要な曲です。ベタベタではなく雄弁に語ることが必要ですが、魅惑された相手が時間が止まるように心が止まった、落ちた瞬間を表現したいですね。


訳が一致している「自己満足」は楽しげでいながら「からかい」が満載、これは問題がない「そのまま」ですね。「不幸せの風味」か「不幸の味」、自分が不幸をかみしめる?相手によって失恋でもさせられて・・・曲の感じからそんな風に弾く人が多いですが、目の前にいる悲しみに打ちひしがれた女性を見て「その姿を美しいと思い魅了されてしまった」なんていう、背徳的な感じを出したいと思うのですが、ダメですかね?子供には弾いてほしくない曲です。

「年をとっても元気」なのが「老いの警報」とくれば、これはかなり問題発言になりますし、モデルの人物の性格も想像がつきます。独特な背徳感は全曲に不可欠です。「フィナーレ」にはシャンソンを思わせる歌が、やや馬鹿らしくも高らかに導かれますが、これをこの世界の国歌のように弾きたいですね。あとは静かな夜の時間に溶けていく空気のすばらしさ。

a0041150_12461315.jpga0041150_15214630.jpga0041150_15593299.pnga0041150_15220410.pnga0041150_12481610.jpg多くのピアニストが弾いています。メシアンの弟子であるポール・クロスリーのプーランクは、日本では名演奏とされていますが、魅力を感じません。誠実なピアニズムというか、よく考えられた表現が垢抜けていないというか平凡というか、感覚的にマイナスになるので、できれば私は聴きたくないものです。プーランクの友人でもあり、名教授でもあるジャック・フェブリエの演奏はずっとスタンダードと評価されていますが、テクニックが弱すぎて伝わるものが少ない。やはりガブリエル・タッキーノの全集がプーランクの本質を伝えた最初の良い演奏だったかと思います。そしてパスカル・ロジェ、こちらは技術的にも現在のピアニストにひけは取りませんしセンスも良い。ここで一段と内容も豊かになり、現役バリバリのエリック・ル・サージュに至り、自由さも加わって充実してきました・・・・これが一般的な批評の評価でしょう。フランス人はニュアンスや絶妙な「いい加減さ」が良いですね。そういうものはプーランクには必要ですね。サンソン・フランソワも長生きしていたら演奏したかもしれません。聴きたかったなあ。

そのフランス人ならではの「いい加減さ」なのか、全く不可解なのですが、ル・サージュの弾く「ナゼルの夜」は1つや2つではなく、譜読みを間違えたのか?驚くほどの間違えた音であふれています。ほとんど曲が違うくらいの場所もあり。ト音記号やヘ音記号の読み違いもあり、これは編曲?いやいや、絶対に間違いの可能性が高いです。実に驚きです!確かにプーランクは彼自身が手が大きかったので、普通ではつかめないような和音があって、そこを簡略化して弾く場合もあるか?とも思いますが、百歩譲ってもこれはちょっとひどい。以前私が「メランコリー 」を録音した時にも、参考にル・サージュのCDを聴きましたが、もしかしたら譜読みギリギリでオタオタ弾いている?と、そんな風に聴こえてきました。もちろんプロだから高いレベルなんですが、彼のCD、実はヤバイのかもしれませんね。表現もやや粗めです。弾いたことがある人ならすぐわかるかと思うのですが、あまり言われていません。これもナゼ~!これが日本人だったらすぐ袋叩きになるでしょうが、外人ならばこれで推薦盤になってしまうのは、真面目にやっている音楽家が浮かばれない。こういうことこそ、きちんと評論してほしい!指摘すべきことだと思いますよ。

ロジェはバッチリ弾いていますが、それでも二ヶ所音が違っていました。それも調が変わってしまうような音の遣いなので、これもどうかと思います。一体何なんでしょうか?そういう楽譜があるのか?と悩んでしまいましたよ。さらにフェブリエ先生も音が違っています。先生はその上にミスタッチも多いので、これは実体がよくわからない(笑)。ただしタッキーノ先生も、フェブリエ先生と同じく違う音を弾いている部分があり、これこそ別の楽譜があるのではないか?と思ったり。あったとしても改定されてしまっているのです。今やフルートソナタ、クラリネットソナタ、オーボエソナタもみんな改訂されています。この改訂版の内容にも私は半信半疑、昔の版が良いとモーリス・ブルグさんも言っておられます。それでフェブリエ先生たちですが(笑)、彼らの違う音については、もしかしたら作曲者自身が彼らに「実はこの音だ」と伝えている可能性があります。私はここは慣例とみなして、実際にその方がより美しいので、フェブリエ先生の音を一ヶ所だけ反映させてみました。ちなみにこの二人の先生の音を変えている場所は、ル・サージュとロジェの音が違う場所とは全く別の場所。なので、若い二人は譜読みのミスかな?と思っています。

ト音記号とヘ音記号を変えて、きれいな音になっているのならともかく、無意味な不協和音になっているのはこれはまずいでしょ(笑)。まさにナゼ~?ナゼ~尽くしの曲(笑)。そんなのちょっと、他には見当たりませんよ。逆にそれぐらい自由に弾いていいのか、プーランク!!そんなことはない(爆笑)。そんなことはないんだけど、それ以上のものが大切な作曲家なのですね。


by masa-hilton | 2017-10-12 22:13 | 音楽・雑記
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