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或る風に寄せて

人間だからいろいろな気持ちになることがある。重い気持ち、悲しい気持ち等も、こんな私にだって無縁ではない。みな表面だけではわからない心を以て歩いているのだ。

さて昨日、東京は雨だった。気持ちが重かろうと仕事もあるので、食事には出かけなければならない。食欲がなかろうと・・・・人間とは厄介である。そんな時、冷たい雨は余計にすべてを煩わしい思いにかきたてる。その時にふと思い出した。

    おまへのことでいつぱいだつた 西風よ

これは高校生の時に読んだ立原道造の詩である。今まで思い出したこともない記憶の奥底にあったフレーズが、急に頭に浮かんだのだった。

 
    たるんだ唄のうたひやまない 雨の昼に

今日のような寒い日の詩ではなかろうに・・・・と、そんなことも考えていた。気がつくとこの詩をすらすらと暗唱できる。立原道造の詩は音楽にもたとえられる「詩」らしい「詩」だ。夢のような気分にささえられた抒情詩、凡人が真似すれば恥ずかしいほど感傷的に過ぎたものになるだろう。

西風は愛する人の象徴なのか、閉ざされた窓の描写は開かぬ心の暗示であるなら、それは誰の心なのか。寂しさやおののきをも感じながら

    あれは見知らないものたちだ…

おぼえていたのなら、もう見知らぬものでもなかろうに。詩を読めばその流れで殆どの事が理解できるように思えるが、道造の詩は細かい詳細を読むものにゆだねて不明瞭でもある。

    夕ぐれごとに かがやいた方から吹いて来て

西風ならば太陽が沈む方向から吹きかける風。あたり前のことだが、なんと美しく悲しく感じることか。輝きや光は希望の象徴である。それが夕日でなければならなかったこと。そう思うとこの西風の持つ意味と肌触りが、いかに高貴でせつないものかがわかる。そして夜がせまり

    おまへは 西風よ みんななくしてしまつた と

すべてが風のはかなさに消える。消えないものは自分の中にある。

    おまへのうたつた とほい調べだ―
    誰がそれを引き出すのだらう 誰が
    それを忘れるのだらう……


それは他人事のように回想されている。しかし決して忘れない思いがここに残る。いや忘れられないのであろう・・・・


気になったので家に帰って立原道造の詩集を本棚から探してみて愕然とした。彼は日本橋の橘町(東日本橋3丁目付近)に生まれていた。きわめて近所なのである。浜町、久松町で学舎に通う・・・まさに私が歩いていたこの場所。たった24歳でこの世を去ったこの人が、この街を当時と同じように、いかにも詩人らしい様子で闊歩しているに違いないと確信した。「君は、僕のことを知っていたでしょう?」と、彼のおめがねにかなって、おそらく呼び止められたのである。今も私の心に何かを語りかけ続けているかもしれない。

ちょっと甘えん坊風な、生意気そうな風貌も印象的で、4・4・3・3行の西洋のソネット形式で書かれた詩が多いのも、当時の夢見る青年のロマン的な香りと意気を感じさせる。上で紹介した「或る風に寄せて」もまたそんな詩の1つである。またこの詩は、三善晃氏の女声合唱曲「3つの抒情」の第1曲目に使われて、こちらも広く知られているところだ。東大の近くには記念館もあるので、あらためて散策して、近々彼にきちんと会いに行こうかと思っている。
by masa-hilton | 2006-02-27 21:34 | 日々の出来事
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