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クールビズ・・・環境と文化は相容れない

クールビズ・・・環境と文化は相容れない_a0041150_169491.jpg演奏中は汗だくだから、ぜひクールビズでノーネクタイで・・・・と思うものの、やはりいい感じにはならないでしょう。国会も本当はイギリス議会の通例行事じゃないけど、フォーマルでやった方がいいと思う。身が引き締まるし(笑)そのぐらいの気持ちでやってほしいでしょう?大体暑いか寒いかは人それぞれ&ファッションも人それぞれなのだから、無理やり推奨はナンセンスです。ネクタイ業界からクレームというのもわかります。それに本当に環境云々言うのなら、車を減らすべきでしょう?? 廃棄して半分ぐらいにしてしまえば?アスファルトの道を泥道に直す!とかね。東京都庁を木造3階建てに作り変えるとか?(笑)でもそれはできないよね(笑)。まずは日本経済が破綻してしまうし。

つまり最近は環境環境と、コンサートを絡めることもあったりするけど、元来環境と文化って相反するものです。自然に生きていたら文化や文明は生まれない。それらはすべて人間によって、作為的に作られたものなのだから。ゆえに文化人(それで食べてる人)が環境を熱く語ったりするのは、自己否定のようなもの。そうやって作り上げた文明・経済・文化・伝統を守ってゆけば、地球環境が壊れるのは必至だが、その「滅び」を受け入れるのが人間の責任のような気もする。なぜなら文明の利器を否定すれば、仕事を得ることができず、人間の生活すら脅かされる。基本的な食文化にしろ、ただ空腹を満たすのではなく味を追求すれば、食べなくてもいいものまで殺したり加工したりするわけだ。そうやって生きてきたものの、肝心の地球が傷み出し、自分らの生命が脅かされて、あわてて「環境!」と叫んでいるだけなのだから、これはエコではなくエゴでしかないだろう。

クールビズ・・・環境と文化は相容れない_a0041150_1611651.gifその滅びの理念に在って思うのは、子供たちのこと。やはり子供たちには生きてほしい。子供たちのことを考えれば、みっともないエゴであろうとも、かまわないではないか。ぜひ環境を大切に・・・そういう気持ちもまた罪深いものかもしれない。等と考えだすと、人間の愚かさや嫌な部分が気になって、音楽がどうだとか精神性とやらを追求することすら、虚しくなってくる。いずれにしても、ショパン達の時代の音楽家には戦争のような悲劇はあったが、この種の雑音はなかっただろう。ストイックに芸術にのめりこみ、自己の才能の開花に全力を注ぎ込むためには、この種の問題は重要なだけに、せっかくの気分を台無しにする。

といって、演奏家が社会にも背を向けて非常識な世界に閉じこもっていては、人々に語りかけることもできないし、受け入れられない。環境問題はとても大切ですが、そこで自分が罪深き人間として、どのように自分らしく、文化を背負って生きていくかということが、難しく重要ですね。文化人なら音楽家でよかった!!音楽は最も人間的なものですから。
by masa-hilton | 2005-06-13 02:09 | 音楽・雑記
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