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記憶は紛れてしまっても

歳をとると見方は変わる。もうショパンはおろか、シューマンよりも年上になってしまった。シューマンの音楽はとても複雑で、なにやら文学的なイメージと結び付けられるから、最初から大人びた世界に踏み込むような神秘があるけれど、こっちが爺さんになってしまえば、自分の内面的性格に名前をつけ(1人なのに複数にみせて)自演ごっこみたいなことをしているシューマンは、ちょっとお子様だ。自分の全ての面を肯定的に認めて欲しいという前提で、お遊びならともかくもっともらしい批評を書くなんて、彼は天才だから許されるけれども、普通ならば大馬鹿ものか笑いものになってしまう。ただし演奏する側からは、その傷つきやすい子供心を優しく包み込み、心の空間に遊べることが楽しい。そんなことも若いうちは思いもよらぬこと。

自分が子供の頃に苦労したエチュードなんかは、今は初見でもパッと弾けたりするわけで、その辺り微妙な気分にもなるが、音楽のとらえ方も全然違う今でも、昔弾けなかった場所に来ると思い出すことはいくらでもある。だからと言って、わざわざ思い出に浸るために弾く事などはありはしないだろう。できれば弾きたくはない。

子供の頃はあたり前にカレーライスとかが好きだったけど、今はそうでもない。特にレトルトのカレーなんかはどれも食べられないほどまずく思うようになった。基本的には洋風カレーしか食べられない。安いカレーの中には塩が多く感じられるものが多いし、スパイスの強いものは胸焼けの原因ぐらいにしかならない。家庭のカレーライスにはジャガイモを入れるのが大嫌いで、そのことが原因で彼女と別れたりもしたが(笑)、今はジャガイモにもこだわっていない。

昔、北千住に「梅ばち」というカレースタンドがあって、確か1杯150円ぐらいではなかったかな?よく学生時代に通った。カレー以外のものはなく大盛りにもできず、多く食べたければ2杯頼むような場所。煮詰まってくるとホースで水を入れていた。今食べたらどんな感じなのだろう?あまり辛くはないカレーだった。また上野アメ横には「エース」というカレースタンドがあり、具の入っていないカレーにポンと一切れ「何かの肉」を落としただけのものだ。ポンと鶏肉を一切れ入れればチキンカレー、これが好みだった。よく行ったしうまかったような気もする。きっと今は駄目だろう。完全消滅した秋葉原の駅の地下にあった喫茶店。ここのA定食やカレーもよく食べた。ここは芸大の受験のときもコンクールを受けたときも、いつも時間調整で使っていた思い出の場所。店の中に池があり魚が泳いでいる。となりが立ち食いの寿司屋なので、寿司メニューも取れる変な店だ。どこか秘密の小部屋のような風情があった。

記憶は紛れてしまっても_a0041150_2371221.jpg高級ホテルに行くとカレーライスを好んで注文する友人がいる。「安い脂が嫌だ」というのと「薬味が豪華だから」というのがその理由らしいが、私はそれならハヤシライスを注文する。そう言えば私は今、どこでカレーを食べるのだろう?カレースタンドや専門店は胸焼けが怖い。情けない男のようだが甘口が好きで、それでも気が抜けたようなのはごめんだ。ならば結局ハヤシライスのほうが良いということだ。

ただ私はカレーを食べると、いろいろ不自由だった青春時代を思い出すことができる。しかし振り返ってあらためて感慨にふけるような特別な思い出なんてあるのかしら?今も昔も音楽とともに、連続した時の流れだけがあるような。今日のこの今の時間でさえ、その流れの中に紛れてしまうだろう。あえてそれらを止めたり巻き戻す必要があるのだろうか?

人形町の喫茶店「ロン」で食べるカレー(写真)はうまいのかまずいのか?よくわからないまま、しばしば食べている。いつも書いているが、ソフト麺丸出しのスパゲッティー等、昔懐かしいメニューの並ぶこの店のカレーは、きっと私が若いころ食べたカレーに近いものがあるに違いない。時が止まったような空間で、時を止めたり戻したりすることに不器用な人間が昔ながらのカレーを食べている図など、それこそはまり過ぎて無意識の中に片付けられてしまわれそうだ。
by masa-hilton | 2009-10-18 02:51 | 音楽・雑記
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