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ギロックなこと 前編

ギロックと言えば新しい教則本・・・それは私の学生時代の話。今や大人気の、最も広く使われている教材になっています。しかし地方でレッスンに行くと、これは処置不可能なようなひどい状態の生徒が持ってくる定番の曲になっていて、私はレッスンの中にギロックがあると、それだけで吐きそうな気分になるのです。

そんな中、昨年日本ギロック協会から会報誌への原稿の依頼が来ました。まさに中枢であるので「当の協会の人は、現在のギロックに対する位置づけをどのように思っているか?」を聞いてみようと思いました。ギロックとつながりの深い友人の何人かとも話したのですが、私の考えは「もっともなことはあるけれど、大きな声では言えない事かも」というニュアンスもあったので、余計につついてみたくなった訳です。

大体このギロックな人々に対して、私が外部から見たぼんやりとした印象は、偏見もあるのですがあまりよろしくないものでした。やや盲目的で、教育的というにはファン意識や集団としての意思表示の方が強く過激で、本質的なものを幾分見失った人達と見えていました。と同時にこのギロックという曲の性質上、より親しみのある音楽性を失わない人間的な音楽を目指している熱心な先生方という良いイメージも持っています。自分の中の誤解や偏見を解くためにも良い機会だと思い、原稿を書くにあたって「先生方にご意見をいろいろ伺いたい」という条件をつけさせてもらい、これはまた先方にも大変喜んで戴けました。

●私から聞いたこと(2005年8月26日のメール)

ギロックを弾く場合、多くの人は「楽しく弾く」ことを主眼においていて、上達のことをあまり考えていない。多くの先生はそういう「困ったちゃん」のための「逃げ」のレパートリーとして考えている節があるけど、会としてはどう思うのか?またどういう演奏方法をして上達の道を見出しているのか?

●先生方の反応(その1)

【編集者のMさん】
このメッセージにも、ピアノレッスンに携わる者として大変ドキリ☆としました。困ったちゃん…そうなんです。ギロック作品に出会ってから、そんな困ったちゃんを、なんとか、「困らなくなったちゃん」へ引っ張っていくことが出来るようになったことは私の生徒さんの場合を振りかえっても、大きな事実です(^^;)

【先生1】
厳しいというか、鋭いご意見ですね、ドキッとしました。これをピアノの先生に対しての批判的な意見としてとらえるなら、「そういう風にギロックを使って何が悪いねん!?」と開き直ってしまいそうですが、単なる疑問としてとらえるなら、「なかなかやる気のない、音楽の楽しさに目覚めていない生徒に対して何か少しでも、目覚めるきっかけになればとギロックの曲を与えています。」と、まずお答えします。実際、私の生徒で、他の曲はなかなか進まないけど、ギロックならなんとかやる気を出して弾いてくる子がいます。ギロックはそのタイトル、メロディーライン、ハーモニーからして、いろんな想像力をかきたててくれる音楽だと私は信じています。ブルクミュラーレベルの子が、明らかにブルクミュラーよりギロックの方を好んでやってくるのは、そういう点で、ギロックは子どもたちにとってより魅力のあるものだからだと思います。演奏方法??これは、私たちピアノの先生だって常に試行錯誤している点なので一言では答えられません。大雑把にお答えするなら、やはり想像力を働かすということが大事だと思います。まず自分でタイトルを見て、弾いて、考えること、どんな情景なのか、その中に出てくる妖精(ギロックのタイトルには妖精が多い)がどんな動きをするのか、森、海、波、雪、自然のタイトルがついているものはどんな状態なのかを考え、次に子どもの目線で考える、もちろん、生徒のレベルに合わせてそれぞれの曲集から取り出して与えるわけですが、それでも、スラスラと弾けるようになるには、(うちの生徒の場合)それだけで、かなり時間がかかってしまいますがある程度弾けるようになった段階で、そういうイマジネーションをかきたてるような指導をしています。

【先生2】
おっしゃるように、ピアノが続くかしらと心配な生徒をかかえる私にとって、ギロックは頼もしく、ありがたい存在です。ギロックのみでピアノがどんどん弾けるようになるとは考えていません。他に組み合わせる教材選びには、神経を使います。ギロックを弾くことで、心の豊かな人になってくれる!!と信じています。私のところは、他のピアノの先生のところから、なんらかの理由で変わってくる生徒が何人かいます。そういう生徒にほぼ共通していることは、「楽しくなさそう」「つまらなさそう」ということです。迷わずギロックを渡すことにしてますが、今まで体験できなかった「楽しい!!」を体験してくれて、喜ばれることも多々あります。上達の道、、、難しい質問です。テクニック系の教本の必要性が理解できると、上達の道の入り口?にたどり着ける気がするのですが、コツコツ練習することが身についていない生徒には、なかなか理解してもらえず、苦労しています。

【先生3】
ギロックの音楽は、小さな手の子供達や音符の読みとりの遅い子でも音符が少ないのでショパンやラフマニノフ、ドビュッシーなど難易度の高い音楽性を与えることができます。もちろんバロック音楽や古典派もしかり。若年層から大人まで楽しめます。少ない音符から奏でられるギロック音楽の響きの美しさは子供達の方が敏感に感じられているようです。子供の時の記憶は大人になってからよみがえりその子の人生に大きな影響を与えます。昨今、勉強やクラブとの両立でピアノのお稽古を続けることが難しい時代、当然教師は出来るだけ小さいうちに、品質の高い音楽を与えたいと思うのが、どうして「逃げ」と言われるのかわかりません。ピアノを教えることの目的は何でしょうか。指が動き華麗に弾けることの上達だけではないでしょう。好きな自分のオンリーワンの曲をみつけることができたり、心の奥にある自分の心のひだに気づいたりすることではないでしょうか。ピアノは指で弾く物ではなく心で弾くものだから・・・。そう言うセンスを持ち得た先生に習える生徒は幸せです。楽しくなければ音楽ではない。すべての人に音楽はほほえみかけていますよ・・・・。とギロックは考えていると思います。そしてギロック音楽をまるで絵でも見ているように。表現できるようになったら、そして物語をかたるように弾けたら、それは最高に上達したと言えます。一番難しい分野ですから・・・。

【先生4】
「逃げ」との指摘は痛タタタ…です。わたしが、ある意味ギロックに逃げていたかもしれません。しかし、ピアニストが、ピアニストを目指す子どもに、厳しく教えるのと、私たちが、ピアノを楽しみたい子どもたちに、教えるのでは、かなり事情が違います。音楽を、楽しめる子どもにしてあげられたら、と、思っているし、ギロックの曲を想像力を使って自分らしく楽しそうに弾いている子ども、教えこまれたのではなく、かれらの何かを引き出せたら、それも理想の姿だと思います。以前ギロックの曲を「この音のほうが好き」と違えて弾く子どもの話を安田先生にしたら、「ギロックなら、そうか、それもいいね」と言ってくれるのではと答えてくださいました。このエピソードで、ギロックが、自分の曲を通して、子どもの成長を願っていたことがわかります。個性を引き出す。分を表現できる。音楽はコミニュケーションの手段。もしギロックが、生きていて「逃げ」と言われたことについて、意見を語ってくれたら、何と答えてくれたのでしょうか?

・・・・今日はここまでにしましょうか。先生方の真摯な姿勢がとても素晴らしいですね。ありがとうございます。

さて、まずギロックが多く盗作をしているのは、皆さんご存知のようで安心しました、けっこうご存知ない方も多い。盗作という言い方は悪いのですが、結局名曲と同じコードを使って、その名曲への入門・ガイドとするということなんです。コーヒーだと言ってコーヒー牛乳を飲ませるのと一緒で私は嫌いなんですが。コーヒーを教えなければいけないのに、コーヒーを知らないコーヒー牛乳好きの子が育っては意味がないからです。そういう意味では大人になってギロックの曲がいつまでも残るようでは、本当はまずいのです。それもあってギロック自身は自分の作品を「副教材だ」と言っています。そのことも多くの皆さんが理解なさっているようでした、根幹となる勉強は他の教材が望ましい。その位置づけなので、ギロックをやるからといってオンリーワンの曲を見つけられ心のひだを描けるようになるのでもないし、人生観が豊かになるわけでもありません。実際ギロックを弾く子の多くは、演奏力がことごとく低く、音楽以前のレヴェルに喘いでいるのが現実なのですから。

だからこそピアノの先生の役割はピアノを上達させなければ(笑)。それが出来ないのは、もはや先生ではない。「それだけではないんだ!人生的な何かを与えることなんだ」ともし本気で思っている人は、本当に人生に影響を与えることができる巨匠達にだけ許された「優れた演奏」を知らないで生きてきた人達です。想像力をかきたて物語を作れる?簡単にそんなことを言っていいのですか?あなたはそんな演奏が出来るのですか?実際に具体的に見せることができますか、指ではなく心で弾く演奏を?でしょう?思い上がってはいけない。音楽や教育のための情熱ゆえ(ここではギロックへの愛情のため)に、もっと謙虚であるべきことを私たちは忘れてはいけないのです。もしギロックにそこまで思い込ませるほどの価値があると言うなら、むしろ気軽に弾いてはならないということです。心を込めて弾くというのはレパートリーを大事にするという意味でもあるはずです。もちろんイメージは大切ですが、それはむしろ大人に対してであって、子供には将来を考えたメソードが何よりも必要であるはず。ピアノの先生の役割は強いて言えば、常に謙虚で怖れを知るということでしょう。そして「伝統の番人であること」・・・これは役割以前のことですが。これは今回ご意見をいただいた方に申し上げているのではなく、私自身が先生としてある時に、いつも心している戒めです。

ただ【4】の方がおっしゃるように、私のところに来る生徒はすでに本人が本気ですから、違うと言われれば違うのかもしれません。だからこそ言える事かもしれませんが、そもそもピアノが嫌な子にピアノを好きになってもらう必要があるのか?という問題もあります。子供達には多くの選択肢をあげたいと思う方が、絶対に正しいはずです。こんなに厳しい道であるのだから、もともと演奏&練習が好きな人だけに向く道だと、私の周りの演奏家はみな思っています。

(また、いつか暇な時につづく・・・笑)(ちなみに最終的な掲載原稿はこちらです)
by masa-hilton | 2006-04-30 18:17 | 音楽・雑記

語る日

直次郎さんが先日あるピアニストが「語るコンサート」に行って来て
「ちょこちょこって、何かいいかげんに弾いてはつまらない話が繰り広げられて、おまけにかなりお高くてとんでもなかったのよ」
・・・・とボクに電話をくれた日に決まった「モーツァルトを語る午後」(笑)。まさに「語るコンサート」。ううう、他人事じゃないね~。

いやいや、なかなか語りがメインだと難しいんですよ。だって演奏が本職なんだし、あるピアニストさんはどういうつもりだったのか知らないけど(笑)、講座や講演会も難しいものですね。たいてい↑のような感想を言われてしまう。ボクも「ちょこちょこっと弾いてつまらないお話しか出来ない」かもしれませんが(爆笑)、心してがんばってみましょう。

大体こちらは共演があるのでちと違う。時々ご一緒するソプラノの松井菜穂子さんで、お話も結構いけるし華やか。そうそう彼女は住んでいる家も凄いんだよね、あそこでリハーサルをするのはなかなか気分がよろしいです。でも最近は美味しい物のある人形町にいらっしゃることも多く、今回はどうするのか?ともあれモーツァルトの歌ものは、とても魅力のある曲が多いので、お客様も喜んでくださるでしょう。銀座の十字屋ホール。6月27日の2時から。
    斎藤雅広さん(ピアニスト)の「モーツァルトを語る午後」
    十字屋午後のサロン・水無月の章/会費:お一人様5千円(ワンドリンク付)
    お申し込み:十字屋ホール℡3561-5250イデアネット℡5791-7626
    十字屋 e-mail:hall@jujiya.co.jp


ちなみにご案内役のマダム中村は、中村江里子さんのお母様です。十字屋さんでは随分昔から色々やらせていただいて、お世話になっています。
またチラシや曲目が出ましたら告知いたしましょう。どうぞよろしく。
by masa-hilton | 2006-04-29 03:33 | コンサート・イヴェント告知

今月の雑誌の掲載等

今月はヤマハのお店等で無料で配られている「ピアノの本」の2006年5月号に、今年1月高崎でやりましたリサイタルのルポが載りました。ぜひご覧下さいね。

高崎はまた来年に朴さんのコンサートに呼んでいただけることになりそうで楽しみです。昨年は皆さん東京からいっぱいいらしてくださいましたね。今度は泊りがけで行きましょうね!!
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またアルソ出版の雑誌「ザ・クラリネット」に2号連続でインタビュー記事が載ります。こちらは赤坂達三さんの対談コーナーにスーパートリオとして呼んでいただき、足立さんも交えてゲストトークです。楽しい裏話がいっぱいありましたが、どこまで載るかな?まずは5月号に掲載予定です。こちらもお楽しみに!
by masa-hilton | 2006-04-28 18:15 | ニュース

びりびりびりびり~

演奏活動で旅が多かったり、旅じゃなくても常時のべ100曲近い曲が後ろから「練習しなきゃ~練習しなきゃ~」と追いかけてくる時点で、楽譜をモーツァルトのソナタ集とかベートーヴェンのソナタ、ショパンのマズルカ全曲等々、分厚いままで対応するのは不可能!ピアノの譜面台に山積みになっているその「山の高さ」を見ただけでゲンナリするし、譜面台そのものに全部乗らないし(笑)

で、ほとんどの人はコピーして楽譜を使ってるんだけど、ちょっと非合法な香りが(爆笑)。コピーしまくると作曲家の権利問題がお気の毒・・・という優しい理由じゃなく、もうコピーしている時間もない!プラス便利だから、ボクの場合は自分の弾く曲をびりびりびりびり~と破いて使っているのです(笑)。そりゃ一般人はけっこう驚いてくれますが、プロ的には(特に外人)は当たり前かな。

びりびりびりびりびりびりびりびりびり・・・・(笑)。こうなると表紙と使わない曲の1部だけになってしまった意味不明な楽譜の残骸が本棚にいっぱい。ただ最近レッスンとかする時にね、困るんですよね~あはは。楽譜が無いんですから(笑)。でもまともな生徒は原典版と普及版を2冊持ってきてくれるから構わないんだけど、まあ、先生としては格好つきません。諺に「弾かない人に限って立派な全集が本棚にある」・・・そうかもしれないんだけど(笑)弾く人だってあった方がいいよ。最近はショパンで言えばパデレフスキーやコルトーの楽譜も、ラフマニノフやスクリャービン、ラヴェルといったものまで日本版でリーズナブルに手にはいる。こうなりゃさらに遠慮はいらない、びりびりびりびりびりびりびりびりびり・・・・!

個人的にはベートーヴェンのシュナーベル版とか日本版で安く出るといいよね。同じく実際に舞台でバッハを弾こうとする時、禁断のブゾーニ版とかも実は大変参考になったりするし、楽譜は設計図なんだから多く出版されて、手もとにあるのはうれしいこと。楽譜がちゃんとしていることは良い演奏につながります。そうだ!楽譜はちゃんとしていてくれ!特に歌の伴奏はね・・・いつも言うけど初見にさせられたり、突然の移調譜がダブルフラットの嵐や無理な調性だったりと(笑)・・・大変なんですよ。

先日の素晴らしいソプラノ、シーネ・バンガードさんのコンサート。変更してきたラモーの曲をニヤニヤしながら弾いていました。歌い終わって彼女も笑っている、その種明かし(笑)・・・まずピアノ譜じゃありません。おまけに古楽だから書かれている調とは実際に違う調の曲なんです。おまけに判読不明の手書き譜。どこを弾きゃいいんだい?と、いつ弾いても完璧に出来ないんだけど上出来上出来!・・・って笑ってしまう2人でした~。で、こんな楽譜です↓ああっ、このぐらい拡大すれば見やすかった~(泣)
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by masa-hilton | 2006-04-24 12:11 | 日々の出来事

高松国際ピアノコンクール

優しさが足らないというのは、もともと「優しさ」の問題ではなく「配慮」の問題のようにも思う。「配慮」と言ってしまう辺り、これまた「情」がない。他人を思いやる気持ち、もし自分がその立場にあったら・・・と思う心が「優しさ」である。私も若い頃は「やる気」ばかりが先行して、そうした気持ちが実に足らなかったと反省している。でもそのおかげで今、とんがって生意気な若者には非常に寛大な気持ちでいられるのだが(笑)。

さて今年は高松で国際ピアノコンクールが行われた。規模としては浜松のコンクールクラスに迫る、力を入れた大掛かりなものだったようだ。

「先生、ホームページで顔写真まで入って当落表が公開されてるんですよ。残酷じゃありませんか?これって永遠にさらされるんでしょうか?私の友達で実力のある子もそこにいるんですけど、かわいそう過ぎます・・・・」

弟子からの電話である。確かに言う通りで気の毒だ。しかし受けた以上は落ちることもあるんだから、その辺りは覚悟するべきでもある。文句は言えない。ただ、もう1位も決まったことだし、入賞者を大宣伝することに力を入れて、他は消してあげるのも配慮の1つだろう。その時はそのぐらいに思ったのである。

実は2・3日前、このコンクールの事務所から大きな封筒が送られてきた。中身は今回が大成功したことの報告と「4年後にまたやります」みたいな挨拶だが、なんとここにもプログラムや全員の名前入りの当落表まで入ってきたのである。ちなみに私に送られてきたということは、日本中の音楽関係者全員に送られているということ・・・いかがなものだろうか?ここまで来るとさすがにやりすぎだと憤る。たまたま何かの都合で落選したが、実力があった人たちは大勢いて、そういう人たちは次のチャンスを目指していくが、こうして不必要にも多くさらされることは、彼らのイメージに影響し演奏家生命も危うい。大げさではなく殺人行為である。例えばショパンコンクールのような大コンクールで落ちても、なかなか一線には戻ってこれない死活問題であるのだから、このような落選イメージの強調はコンテスタントの息の根を止めるに充分すぎる。ショパンコンクールは「ショパン」という人への敬意が存在するし、音楽家を記念したものだから、畏怖や伝統・権威もある。「高松」はただの地方都市のことで、その名前自体に音楽的な権威があるはずもなく、本来ショパンコンクール等と同じ気分でコンテスタントを扱ってはいけない。コンクールとは競技会だが、芸術はもともと比較されるべきものではないのだし、オリンピックとも違う。

つまりこの関係者たちはコンクールをイヴェントして成功させたい、継続させたいことしか考えておらず、いわば文化都市高松、音楽都市高松、高松万歳!その宣伝だけにヤッキなのである。まさに本末転倒。コンクールを文化事業というなら、才能ある人たちを育てたいという気持ちが最優先されるべきである。チャンスを与えてやっているだろ?というものではいけない。もっともっと優しくあるべきでだ。悪気がないだけに罪も重い。そもそも高松の町がどうなろうと、音楽とは関係のないことなのだから(笑)。

送られてきた手紙の〆に「4年後の第2回開催を目指して、香川の誇りうる国際文化事業として、しっかり根付かせるように努力して参りたいと存じます。」・・・って自分たちの誇りになってどうする?そういうものではないだろう。誇りに感じるのはコンテスタントの方で、主催者は愛や心を感じていなければいけないだろう。

弟子曰く「こんな状態だと受ける人減りますよね?」・・・いやいや、増えると思う。確か年齢も40ぐらいまでいいはずだし。でも、それらの人たちがどんな思いで受けるのかと言えば「藁をもつかむ」思いである。それをもっとわかってあげていいはずだ。人の心と関わるものであることが音楽・文化の根幹であると、心ある人よ、審査員でも理事でも、どなたか挙手して伝えてほしい。
by masa-hilton | 2006-04-22 06:30 | 音楽・雑記

5月26日のコンサート

歌手が都合でヴィッレ・ルサネン(バリトン)からガブリエル・ベルムデス(バリトン)に代わりました。曲はシューベルトの「冬の旅」で同じです。よろしくお願いいたします。
by masa-hilton | 2006-04-19 02:02 | ニュース

文句を言わない!

前の記事を受けて。

ピアニストは現場の楽器で弾くのがほとんど。楽器がよく鳴らない楽器だったり、弾きにくかったり古かったりすると、そりゃ大変。ほとんど格闘技並みの体力が必要になる(涙)。半分冗談としても演奏の方に影響が出て、ヒビが入ってしまうのは確か。ホールの構造も響かなかったり、演奏位置から見た座席の位置等、微妙なことが係わっていて影響大。演奏とはけっこう繊細なものです。
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あるピアニストが「子供が騒がしい」と追い出したり、「これじゃ弾けない」といろいろ苦情を言って主催者を困らせた話もあるが、それも演奏に対する真摯な姿勢からでているので、非難はできない。プロなんだからどんな状況でもちゃんとやれ!と言うのもごもっともだが、どんな状況でも同じレベルの演奏ができるというのも、無神経なピアニストのようで魅力がない。繊細さも美徳だ。かつてはB=ミケランジェリが、ピアノのちょっとした調整のことでキャンセルしていたりした。大巨匠だとそれも美しい。

でも我々じゃありえないね(笑)。仕事は2度と来ません。繊細に影響しようがしまいが、お客様に喜んでいただくため全力を尽くさねば!

「プロはお金をとっているのだから批判されて当たり前」という驚くべき考えを持っているファンも多く、意外にもオタク諸氏の尺度が「こんなにお金を払ったのに」というところからの発想だったりして、びっくりしたこともある。音楽に浸かっている立場の意見は「金を払ったから云々」等と言われると、そんなことが尺度になり得るのか?と当惑するばかりだが、一種のショービジネスなんだし、ビジネスでのお客様の立場の声であればそれも真なり。もともと文化は究極では「無駄なものに価値を与える」もので、それを全て受け入れる「文化人」にはゆとりが必要だろう。お金を、結果に関係のない「楽しみの時間に使う」余裕が、どれだけの人にあるのだろうか。

本題。流暢なことを言って仕事は出来ない日本の現実。クラシック音楽界は小さな椅子取りゲームみたいなもの。どんな状況であれタフにこなし、精一杯頑張り、喜びを持って演奏する気迫がなければ、演奏の場すら得られない。ならば文句を言ったり愚痴を言うのではなく、前向きな姿勢!これを忘れない!・・・・そのためにはボクは「心あるお客様」を信じることにしている。きっと期待して来てくださってるんだから、何とかそれに応えたいと頑張ればいいのでは?そんな気持ちをヒートアップさせてくれる映像をご紹介しましょう!

ラフマニノフ=ヴォロドス編/イタリアン・ポルカ (ピアノ)ヴォロドス

ちなみにこのアルカディ・ヴォロドスさんは来日します。12月6日サントリーホールだそうです。いやあ、ヴォロドス君!!凄過ぎだ!この環境でこれだけのものが出来るのは、もちろん彼の素晴らしい実力だけど、お客様の期待を信じる心と音楽を愛する心、感謝の心!演奏できてうれしい~!と思う心だよね。苛酷な環境に立たされるといつもこれを思い出して、頑張ろうと思うのです(笑)。
by masa-hilton | 2006-04-18 04:22 | 音楽・雑記

北海道から帰ってきました

NHKの「きよしとこの夜」も無事OAが終わって、本当に多くの方に見ていただきました。有難うございました。

そして私は15日朝7時半の飛行機に乗って留萌へ。さっき帰ってきたのが16日22時羽田着だから、相当に強行軍。強いて言えば、家がタクシーにさえ乗れば羽田から15分というのに救われている。そういう意味では本当に楽だ。でも、そうは言っても14日の夜は、いつものようにで朝4時半に寝ているので、5時半に起きて睡眠時間1時間(笑)。体が資本だしリサイタル・プログラムも大きいし、これはなかなか大変なことですよ。留萌・名寄はホールが古く、それはマイナス要因ではあるけれど、あたたかいお客様に囲まれて幸せなコンサートだった。楽しくゴキゲンでした!音楽って本当にステキ、演奏家~やめられまへんな!また伺いたいな~。

最低温度はマイナス5度、雪が降っていましたね。留萌はよく知らなかったけど、昔はニシンの漁場。今でも数の子のメッカです。そのニシンも、また獲れたての数の子も全く違う!おいしいものです。昔北海道と京都は北前船で結ばれていて、保存食として重宝されたみがきニシンが、京都にニシンそばを発展させたのです。いただいたお寿司も凄い。素材勝負でちょっとこれは敵わない。前にも書きましたが、素材では現地に勝てるはずがないです。えらそうな東京の店がかすむばかりか、こういうものを食べてる人は、東京には住めないでしょうね、塩辛1つだって全然違うから。そして広々とした美しい大地に育まれたら、考え方も変わるんだろうね。隣町まで車で2時間!ゆったりとした時が進みます。

ところでホテルで目が覚めて、朝ごはんをいただいていると、寂寞とした気持ちにおそわれる。これはよくあることで、でも孤独からではない。むなしさとも違うけど生きているのが面倒なような感じはある。今回もそんな気持ちがしたのでゆっくり考えてみると、寝不足であるために朝起きるのが辛いという事だったりする(笑)。朝ごはんを9時半ぐらいまでには食べなければならないことが多いホテル。家にいれば自由に寝ていられるのに・・・とか考えつつ、食欲もないのに起きたくもない時間に起きて身支度を整え、レストランへの重い足取り・・・もっとセンティメンタルでロマンティックなイメージなら格好もつくだろうに(笑)。でもこの寂寞感は、実は幸せの暗示でもある。コンサートに不安があったら、ドキドキバクバクしながら忙しく楽譜とにらめっこになっているだろう。けだるく新聞を読める自分に感謝(笑)。

そんな留萌に1つだけ不思議な店が。焼肉屋の「ジュネーブ」ってなんだ??東京にもあるよ、タクシーの運転手さんは大抵知っています。日吉の方にある焼肉屋の「北京」(笑)。普通は中国の地名じゃなくて、朝鮮関係の地名を使うと思うんだけど。ただここはうまいそうですよ。有名店らしいし。
by masa-hilton | 2006-04-17 03:27 | 日々の出来事

考えどころ

先日プーランクのフルートソナタをレッスンしていたら、いやに単純な表現が鼻について、もしやと思ったのだが、楽譜が違うのである。楽譜が違うというのは、いわゆる「原典版」に手が入れられたもの、すなわち改訂である。確かに以前の版は、かなり不自然な表現があった・・・ピアノの方がPでフルートがPPになっていたり、ありえない場所でのフォルテ・ピアノ、歌い難いアーティキュレーション等々・・・「それらの表現をどうしたら自然に聴かせられるか?」と誰もが研究したはず。で、結局そういう部分が全部すっきり変えられた。確かに演奏しやすいというか、何も考える必要がない流れ・・・しかしどこか味わいが薄れている。心の情景から複雑さが差し引かれれば、やはりつまらない演奏になる。私たちが聴いてきた往年の名演は、旧版で演奏していることもあるし馴染めない。コンサートは何を選択しようと構わない、自己責任であるが、今後レッスンしていくにあたってどう選択していくのか?重要な問題だろう。

同じことがヘンレ版のベートーヴェンにも起こっている。実は今のヘンレ版は私たちが弾いてきたベートーヴェンとは違う。そもそもヘンレ版は周期的に改訂されているので、私たちのベートーヴェンも実は前時代の人たちの解釈とは異なっている。いや、解釈という言葉は不適切かもしれないね。「解釈を考える以前のもとのもと」と言うのが正しいだろう。その基盤が何年かおきに揺らいでは、話にならないぜ!というのが私たちの本音である(笑)。ただこれらは研究者による検証の積み重ね、新しい発見による変更なのだから、最新の情報を無視することも出来ない。演奏者も新しい楽譜によって、新たな解釈を試み、更なる多様な表現を勉強するのが筋だろう。

スポーツ競技であれば最新の記録が、古い記録に上書きされて、それが最高のものとなるが、音楽の場合は過去の名演は上書きできないどころか、近づけないほどの輝きと生命力を以て生き続けている。なかなか超えることも難しく、新しい発見も無にするだけの説得力を持っているため、新たな解釈を行う必要性は実は誰も感じていない。そんな現状もある。

ショパンもまた然り。エキエル先生の楽譜が最近これほど出回っているのも、新しい発見と研究の成果である。ショパンコンクールでもその使用が話題になっていたが、この普及の仕方は本人とその周りのご威光ゆえという考え方もある。新しい音遣いはどうもピンと来ないという意見も多いし、賛成だ。そんなこともあって、同じ原典版でも10年20年たつと「使えるものかどうか?」という判定が下されていく。それも何とも面白い! その折の改訂者に対しての批判でなのだが、なんだかんだ言って、作曲者に文句を言っているようなものではないか(笑)。

結論的にはその曲が何を描いているかという大筋までは、何も変わっていない。何があっても心を尽くしてそれを表現すれば、古臭くてもミスタッチがあろうとも、逆に新しい表現解釈によるものであっても本来は構わないはずだ。伝えるものは表面ではないはずなのだから。でも伝統芸術、トリルの入れ方ひとつで見識を疑われる時だってある。まさに「考えどころ」であるが「考えすぎ」の功罪かもしれない(笑)。
by masa-hilton | 2006-04-11 04:56 | 音楽・雑記

役割分担で!

老舗の中には敷居が高いところもいっぱいある。うちの近くに「芳味亭」という大変おいしい洋食屋があって、まぁレトロな雰囲気で良いのだが、とにかく「接客最悪コンクール」というものがあったら間違いなく第1位特賞に輝くであろうくらいに感じが悪い。いや悪すぎる(笑)。どうしたらこんな態度がとれるのだろう(笑)?ここまで凄いとポリシーなのかとも思うし、かえって面白い。もしかしたらあの下足番のおじちゃんは、友達になったら笑顔で迎えてくれるのだろうか?とか想像して。ある人はオムライス1つ頼んだのだが、それ1つだけでは生きて帰してはもらえそうもないような雰囲気だったので、結局びびって沢山注文してかなり払ったらしい(笑)。そもそも値段も高いのである。

何事にも役割がある。たまには悪役もいたほうが良い(笑)。こうした敷居の高い老舗がこんな感じじゃないと、私たちが大好きで通いたいお店が、妙な客筋によっていつも満席で行きづらくなってしまう。もう1つの人形町名物「玉ひで」のお昼の親子丼の行列を苦々しく思っている食通もいるみたいだけど、逆にそれはそれでいいではないか。おかげでこちらは気に入った店でゆっくりできるわけだし、行列が出来るというのも営業努力の賜物なのだし素晴しい事だ。そこに文句を言うのは筋違いであろう。味のわからないお金持や、グルメ本やマスコミに言われたことを信じて試しに来た人々が徘徊する「食の街」ならではの心配事である。

味がわからないお金持的な人が集まるという点では(笑)、日本橋の三越やタカシマヤは総本山とも言うべき場所だろう。それは揶揄ではなくデパートなんだから当然だし、むしろそうでなくちゃ困る。営業努力、本当にいいものより、売れるものを売らなければ経営にかかわるのだし、そこそこにそこで味を覚えてもらうのも大切だ。それでも三越からガルバニャーティが消えるのは、承服できない。おそらく日本一おいしい食パンですよ。撤退するのはCM不足か何なのかわからないけど、誰だって食べてみればすぐわかること。丸ビルからも撤退したから、もう六本木と名古屋のタカシマヤしかないね。トーストにしても絶品だった。耳はフランスパンのように、中はしっとりと・・・・。ああ、残念!

いいものが売れる世の中にしたい・・・それはどの業界も思っていることだが、どの業界もそうではない(笑)。音楽界しかり。でもこれは売り手にも責任がある。売れるものになるにはどうしたらいいのだろうか、これがやはり基本だ。売れるものという言葉には一種の後ろめたさがあるのだろうが、みんなが喜んでくれるものということでもあるんだから恥ずべきではない。前向きにがんばっていきましょう!

それにしてもガルバニャーティの食パン(パン・カッレ)よ!三越は4月13日でお別れです。そうは言っても三越&タカシマヤは私の台所。うまいものを今後もたのむよ~~~!期待してるよ。
by masa-hilton | 2006-04-09 15:03 | 趣味&グルメ