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ワレフスカさんとのコンサート、名古屋に続き、青森も大成功なれど

私たちの仕事はツアーが始まってしまったら、あらためてリハーサルというのには時間は取れない。仕事はこれだけではないのだから、最初のリハで見切りをつけて出発するのが常。今回のように無理なスケジュールのリハで何ともならなかったものは、いくら長年の経験をもってしても、いかんともし難い。さらに相性もある。これだけのストレスがあるのもちょっと異常だし、他のコンサートにも影響がでると困るので、初日に感じた直感に従い、ワレフスカさんとのツアーを降りることにした。もちろん名古屋のコンサートは大変うまくサポートしてあげられたので彼女も満足されているのだけれど、ちょっと大変すぎる。他のプログラムを構築する時間がもうない。というわけで友人や先輩の実力者のピアニストをリストアップしていたら、マネジメントのテンポプリモの方が「結局引き受けた人が苦労して、第二第三の斎藤さんになるだけだから・・・」と躊躇するうちに、息のあう演奏が出来る彼女のピアニスト(日本人)をニューヨークから連れて来れる見通しだと言う。それが出来るなら最高だけど、それなら最初からそうすりゃ良かったのに(笑)。それこそ彼女のためだ。

アゴーギクやテンポルバートが本当に自由で合わせにくいのは事実だけれど、そこが良さでも個性でもあるのだから、それを生かせるのは念入りなリハーサルあってのみだ。1例を挙げれば、ショパンのポロネーズは彼女はフォイアマンの版を使って、元来ピアノが弾くむずかしいパートをチェロで弾いている。フォイアマン版のピアノ伴奏は和音の伴奏系で対応してある。オリジナル譜ではピアノが華やかに動いてチェロはお休み。だからこそピアノはパラパラ自由に弾けるのだ。で、フォイアマン版のチェロとオリジナル譜のピアノを重ねるというのだから大変(笑)。結局動きはユニゾンになるので、こちらはもう自分のペースと正しいテンポを捨てて合わせるしかなく、未完成なリハではどうしようもない。招聘の渡辺さんは「彼女のアゴーギクは弓とポジションに時間がかかっているだけなんです。だからその場所をお教えしますからそこで待つように弾けば大丈夫」みたいなことを私に言ったが、それはあまりに非音楽的と思いお断りしてしまった。それならずれたり間違えたりした方が良いと思ったのだ。しかしそれが一理あるとするならば、それが音楽的に聴こえるための、さらなるリハーサルが必要だ。でも「一緒にハードに練習すると指が痛くなってしまう」と言われ(笑)、もはやこれまで。先日のクリストフ・ポールさんとの「水車小屋」で、友人のピアニストに「あのピアニシモでの演奏は神業だ」と大げさにほめてもらえたのだが(笑)、それはほめすぎとして、それほどに気を遣って普段から演奏しているのに、「指が痛くなる」とは・・・・普段それほど弾いていないのか、ありえない。どういうことなのだろうか?これは彼女のコンサート・スケジュールがハード過ぎるという問題かもしれない。これでもう無理と判断した。

ただおかげ様でブラームスを中心としたプログラムは、大変うまくいっている。今日の青森もコンサートとしては大成功だ。彼女も「よくサポートしてくれている」「ブラボーだ」と笑顔で喜んでくれた。もちろんとても嬉しい。大切に考え、少しでも彼女が楽にいられるように努力していることを、わかってくれるようになった。今回は長旅だったので色々お話しすることも出来、お互いにストレスを持っていた「わだかまり」みたいなものもすっかりとれた。青森に行って本当に良かった。彼女は今はむしろ契約やギャランティのこととか、CDの権利のこととか、そういうことを大変心配なさっているご様子で、日本に来て心休まらない日々を過ごしていらっしゃる様子が、とてもかわいそうに思えた。「無理なスケジュールと環境が、あなたとの不幸な出会いを作った。よくやってくれていると思うし、とても良い演奏だったわ、ありがとう」彼女が別れ際に言ってくれた一言で、気持ち的にも救われた。というわけで良いサポートが出来ることも完全保証済ではあるが、武蔵野以外は極力降りる方向で検討中、特にライヴ録音もある石橋などは彼女にもぜひリラックスして、馴れたピアニストと成果をあげていただきたいと心から思う。

武蔵野文化のプロデューサーは、ワレフスカさんに対して「うちは会員900円のチケットでしか売れないよ」と評価は厳しいが、今回のことについては「斎藤さんもこの仕事の苦労は無駄じゃないし大丈夫、楽に行きましょうよ」との反応。思わず「友人への協力という形で受けた仕事だったのに、現地のピアニストを呼べるお金があるんだったら、私のやったことは無駄のような気がしてしょうがないですよ」と長話。ただ私が共演だったから大きなホール・コンサートを2件作れたわけで、そういう意味で名前が必要だったと考えれば必然性もあると言われ納得。その武蔵野のコンサートでは最後のご奉公のつもりで、少しでも良いものを目指し味わいが滲み、プロデューサー氏にも「良かったね」と言ってもらえるように努力したい。

本当に今回はしびれました(笑)。珍しくネガティブなことを書いたので、多くの友人や関係者にご心配をかけた。私が苦しんでいるのを見て、音友の批評の執筆依頼を断った批評家の方もいらっしゃる(笑)。皆様、本当にいろいろありがとう。
by masa-hilton | 2010-05-23 23:59 | 日々の出来事
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