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考えどころ

先日プーランクのフルートソナタをレッスンしていたら、いやに単純な表現が鼻について、もしやと思ったのだが、楽譜が違うのである。楽譜が違うというのは、いわゆる「原典版」に手が入れられたもの、すなわち改訂である。確かに以前の版は、かなり不自然な表現があった・・・ピアノの方がPでフルートがPPになっていたり、ありえない場所でのフォルテ・ピアノ、歌い難いアーティキュレーション等々・・・「それらの表現をどうしたら自然に聴かせられるか?」と誰もが研究したはず。で、結局そういう部分が全部すっきり変えられた。確かに演奏しやすいというか、何も考える必要がない流れ・・・しかしどこか味わいが薄れている。心の情景から複雑さが差し引かれれば、やはりつまらない演奏になる。私たちが聴いてきた往年の名演は、旧版で演奏していることもあるし馴染めない。コンサートは何を選択しようと構わない、自己責任であるが、今後レッスンしていくにあたってどう選択していくのか?重要な問題だろう。

同じことがヘンレ版のベートーヴェンにも起こっている。実は今のヘンレ版は私たちが弾いてきたベートーヴェンとは違う。そもそもヘンレ版は周期的に改訂されているので、私たちのベートーヴェンも実は前時代の人たちの解釈とは異なっている。いや、解釈という言葉は不適切かもしれないね。「解釈を考える以前のもとのもと」と言うのが正しいだろう。その基盤が何年かおきに揺らいでは、話にならないぜ!というのが私たちの本音である(笑)。ただこれらは研究者による検証の積み重ね、新しい発見による変更なのだから、最新の情報を無視することも出来ない。演奏者も新しい楽譜によって、新たな解釈を試み、更なる多様な表現を勉強するのが筋だろう。

スポーツ競技であれば最新の記録が、古い記録に上書きされて、それが最高のものとなるが、音楽の場合は過去の名演は上書きできないどころか、近づけないほどの輝きと生命力を以て生き続けている。なかなか超えることも難しく、新しい発見も無にするだけの説得力を持っているため、新たな解釈を行う必要性は実は誰も感じていない。そんな現状もある。

ショパンもまた然り。エキエル先生の楽譜が最近これほど出回っているのも、新しい発見と研究の成果である。ショパンコンクールでもその使用が話題になっていたが、この普及の仕方は本人とその周りのご威光ゆえという考え方もある。新しい音遣いはどうもピンと来ないという意見も多いし、賛成だ。そんなこともあって、同じ原典版でも10年20年たつと「使えるものかどうか?」という判定が下されていく。それも何とも面白い! その折の改訂者に対しての批判でなのだが、なんだかんだ言って、作曲者に文句を言っているようなものではないか(笑)。

結論的にはその曲が何を描いているかという大筋までは、何も変わっていない。何があっても心を尽くしてそれを表現すれば、古臭くてもミスタッチがあろうとも、逆に新しい表現解釈によるものであっても本来は構わないはずだ。伝えるものは表面ではないはずなのだから。でも伝統芸術、トリルの入れ方ひとつで見識を疑われる時だってある。まさに「考えどころ」であるが「考えすぎ」の功罪かもしれない(笑)。
by masa-hilton | 2006-04-11 04:56 | 音楽・雑記
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