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ギロックなこと 前編

ギロックと言えば新しい教則本・・・それは私の学生時代の話。今や大人気の、最も広く使われている教材になっています。しかし地方でレッスンに行くと、これは処置不可能なようなひどい状態の生徒が持ってくる定番の曲になっていて、私はレッスンの中にギロックがあると、それだけで吐きそうな気分になるのです。

そんな中、昨年日本ギロック協会から会報誌への原稿の依頼が来ました。まさに中枢であるので「当の協会の人は、現在のギロックに対する位置づけをどのように思っているか?」を聞いてみようと思いました。ギロックとつながりの深い友人の何人かとも話したのですが、私の考えは「もっともなことはあるけれど、大きな声では言えない事かも」というニュアンスもあったので、余計につついてみたくなった訳です。

大体このギロックな人々に対して、私が外部から見たぼんやりとした印象は、偏見もあるのですがあまりよろしくないものでした。やや盲目的で、教育的というにはファン意識や集団としての意思表示の方が強く過激で、本質的なものを幾分見失った人達と見えていました。と同時にこのギロックという曲の性質上、より親しみのある音楽性を失わない人間的な音楽を目指している熱心な先生方という良いイメージも持っています。自分の中の誤解や偏見を解くためにも良い機会だと思い、原稿を書くにあたって「先生方にご意見をいろいろ伺いたい」という条件をつけさせてもらい、これはまた先方にも大変喜んで戴けました。

●私から聞いたこと(2005年8月26日のメール)

ギロックを弾く場合、多くの人は「楽しく弾く」ことを主眼においていて、上達のことをあまり考えていない。多くの先生はそういう「困ったちゃん」のための「逃げ」のレパートリーとして考えている節があるけど、会としてはどう思うのか?またどういう演奏方法をして上達の道を見出しているのか?

●先生方の反応(その1)

【編集者のMさん】
このメッセージにも、ピアノレッスンに携わる者として大変ドキリ☆としました。困ったちゃん…そうなんです。ギロック作品に出会ってから、そんな困ったちゃんを、なんとか、「困らなくなったちゃん」へ引っ張っていくことが出来るようになったことは私の生徒さんの場合を振りかえっても、大きな事実です(^^;)

【先生1】
厳しいというか、鋭いご意見ですね、ドキッとしました。これをピアノの先生に対しての批判的な意見としてとらえるなら、「そういう風にギロックを使って何が悪いねん!?」と開き直ってしまいそうですが、単なる疑問としてとらえるなら、「なかなかやる気のない、音楽の楽しさに目覚めていない生徒に対して何か少しでも、目覚めるきっかけになればとギロックの曲を与えています。」と、まずお答えします。実際、私の生徒で、他の曲はなかなか進まないけど、ギロックならなんとかやる気を出して弾いてくる子がいます。ギロックはそのタイトル、メロディーライン、ハーモニーからして、いろんな想像力をかきたててくれる音楽だと私は信じています。ブルクミュラーレベルの子が、明らかにブルクミュラーよりギロックの方を好んでやってくるのは、そういう点で、ギロックは子どもたちにとってより魅力のあるものだからだと思います。演奏方法??これは、私たちピアノの先生だって常に試行錯誤している点なので一言では答えられません。大雑把にお答えするなら、やはり想像力を働かすということが大事だと思います。まず自分でタイトルを見て、弾いて、考えること、どんな情景なのか、その中に出てくる妖精(ギロックのタイトルには妖精が多い)がどんな動きをするのか、森、海、波、雪、自然のタイトルがついているものはどんな状態なのかを考え、次に子どもの目線で考える、もちろん、生徒のレベルに合わせてそれぞれの曲集から取り出して与えるわけですが、それでも、スラスラと弾けるようになるには、(うちの生徒の場合)それだけで、かなり時間がかかってしまいますがある程度弾けるようになった段階で、そういうイマジネーションをかきたてるような指導をしています。

【先生2】
おっしゃるように、ピアノが続くかしらと心配な生徒をかかえる私にとって、ギロックは頼もしく、ありがたい存在です。ギロックのみでピアノがどんどん弾けるようになるとは考えていません。他に組み合わせる教材選びには、神経を使います。ギロックを弾くことで、心の豊かな人になってくれる!!と信じています。私のところは、他のピアノの先生のところから、なんらかの理由で変わってくる生徒が何人かいます。そういう生徒にほぼ共通していることは、「楽しくなさそう」「つまらなさそう」ということです。迷わずギロックを渡すことにしてますが、今まで体験できなかった「楽しい!!」を体験してくれて、喜ばれることも多々あります。上達の道、、、難しい質問です。テクニック系の教本の必要性が理解できると、上達の道の入り口?にたどり着ける気がするのですが、コツコツ練習することが身についていない生徒には、なかなか理解してもらえず、苦労しています。

【先生3】
ギロックの音楽は、小さな手の子供達や音符の読みとりの遅い子でも音符が少ないのでショパンやラフマニノフ、ドビュッシーなど難易度の高い音楽性を与えることができます。もちろんバロック音楽や古典派もしかり。若年層から大人まで楽しめます。少ない音符から奏でられるギロック音楽の響きの美しさは子供達の方が敏感に感じられているようです。子供の時の記憶は大人になってからよみがえりその子の人生に大きな影響を与えます。昨今、勉強やクラブとの両立でピアノのお稽古を続けることが難しい時代、当然教師は出来るだけ小さいうちに、品質の高い音楽を与えたいと思うのが、どうして「逃げ」と言われるのかわかりません。ピアノを教えることの目的は何でしょうか。指が動き華麗に弾けることの上達だけではないでしょう。好きな自分のオンリーワンの曲をみつけることができたり、心の奥にある自分の心のひだに気づいたりすることではないでしょうか。ピアノは指で弾く物ではなく心で弾くものだから・・・。そう言うセンスを持ち得た先生に習える生徒は幸せです。楽しくなければ音楽ではない。すべての人に音楽はほほえみかけていますよ・・・・。とギロックは考えていると思います。そしてギロック音楽をまるで絵でも見ているように。表現できるようになったら、そして物語をかたるように弾けたら、それは最高に上達したと言えます。一番難しい分野ですから・・・。

【先生4】
「逃げ」との指摘は痛タタタ…です。わたしが、ある意味ギロックに逃げていたかもしれません。しかし、ピアニストが、ピアニストを目指す子どもに、厳しく教えるのと、私たちが、ピアノを楽しみたい子どもたちに、教えるのでは、かなり事情が違います。音楽を、楽しめる子どもにしてあげられたら、と、思っているし、ギロックの曲を想像力を使って自分らしく楽しそうに弾いている子ども、教えこまれたのではなく、かれらの何かを引き出せたら、それも理想の姿だと思います。以前ギロックの曲を「この音のほうが好き」と違えて弾く子どもの話を安田先生にしたら、「ギロックなら、そうか、それもいいね」と言ってくれるのではと答えてくださいました。このエピソードで、ギロックが、自分の曲を通して、子どもの成長を願っていたことがわかります。個性を引き出す。分を表現できる。音楽はコミニュケーションの手段。もしギロックが、生きていて「逃げ」と言われたことについて、意見を語ってくれたら、何と答えてくれたのでしょうか?

・・・・今日はここまでにしましょうか。先生方の真摯な姿勢がとても素晴らしいですね。ありがとうございます。

さて、まずギロックが多く盗作をしているのは、皆さんご存知のようで安心しました、けっこうご存知ない方も多い。盗作という言い方は悪いのですが、結局名曲と同じコードを使って、その名曲への入門・ガイドとするということなんです。コーヒーだと言ってコーヒー牛乳を飲ませるのと一緒で私は嫌いなんですが。コーヒーを教えなければいけないのに、コーヒーを知らないコーヒー牛乳好きの子が育っては意味がないからです。そういう意味では大人になってギロックの曲がいつまでも残るようでは、本当はまずいのです。それもあってギロック自身は自分の作品を「副教材だ」と言っています。そのことも多くの皆さんが理解なさっているようでした、根幹となる勉強は他の教材が望ましい。その位置づけなので、ギロックをやるからといってオンリーワンの曲を見つけられ心のひだを描けるようになるのでもないし、人生観が豊かになるわけでもありません。実際ギロックを弾く子の多くは、演奏力がことごとく低く、音楽以前のレヴェルに喘いでいるのが現実なのですから。

だからこそピアノの先生の役割はピアノを上達させなければ(笑)。それが出来ないのは、もはや先生ではない。「それだけではないんだ!人生的な何かを与えることなんだ」ともし本気で思っている人は、本当に人生に影響を与えることができる巨匠達にだけ許された「優れた演奏」を知らないで生きてきた人達です。想像力をかきたて物語を作れる?簡単にそんなことを言っていいのですか?あなたはそんな演奏が出来るのですか?実際に具体的に見せることができますか、指ではなく心で弾く演奏を?でしょう?思い上がってはいけない。音楽や教育のための情熱ゆえ(ここではギロックへの愛情のため)に、もっと謙虚であるべきことを私たちは忘れてはいけないのです。もしギロックにそこまで思い込ませるほどの価値があると言うなら、むしろ気軽に弾いてはならないということです。心を込めて弾くというのはレパートリーを大事にするという意味でもあるはずです。もちろんイメージは大切ですが、それはむしろ大人に対してであって、子供には将来を考えたメソードが何よりも必要であるはず。ピアノの先生の役割は強いて言えば、常に謙虚で怖れを知るということでしょう。そして「伝統の番人であること」・・・これは役割以前のことですが。これは今回ご意見をいただいた方に申し上げているのではなく、私自身が先生としてある時に、いつも心している戒めです。

ただ【4】の方がおっしゃるように、私のところに来る生徒はすでに本人が本気ですから、違うと言われれば違うのかもしれません。だからこそ言える事かもしれませんが、そもそもピアノが嫌な子にピアノを好きになってもらう必要があるのか?という問題もあります。子供達には多くの選択肢をあげたいと思う方が、絶対に正しいはずです。こんなに厳しい道であるのだから、もともと演奏&練習が好きな人だけに向く道だと、私の周りの演奏家はみな思っています。

(また、いつか暇な時につづく・・・笑)(ちなみに最終的な掲載原稿はこちらです)
by masa-hilton | 2006-04-30 18:17 | 音楽・雑記
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