ラヴェルの「水の戯れ」はそれほど頻繁に聴きたいとも思わないが、実は大好きな曲の1つだ。しかし自分ではあまり弾きたくない曲でもある。ある意味で理想的な演奏というのが見えてしまっている曲だし、なかなかオリジナリティも出しにくいように思えているからで、それは普段学生が弾くのに多く付き合っているからだというせいもある。個性のない演奏というのはなんと言ってもつまらないが、個性の出せない曲というのも、仮にどんな名曲であってもごめん蒙る。
最初に聴いたのはギーゼキングのもの。このEMIのレギュラー盤は従来のイメージから考えると落ち着きがない。さらに1923年のSP復刻はもっと速くて泡立つような感じ。カザドゥシュのものにも同じ色合いが伺えるが、初演者のヴィニェスの冷め切ったような冴えた演奏を想像すると、前時代のピアニストがこのように「気持ちが急く傾向」で演奏することが不思議だ。ややクールなスタンダードなものはペルルミュテールのものとなるが、解釈なのかテクニックが悪いからなのか、テンションの問題なのか、このランクのピアニストだと心地よく味わうことは出来ない。つい最近購入したフォーレの全集で日本ではおなじみのドワイヤンの演奏も、相変わらずつまらない内容で「教育者のピアノ」の域を出ない。私が聴き、最初に価値ありと思えた演奏はアルゲリッチのもの。本当はミケランジェリが弾くのをずっと待っていたのだけれど発見できずに、全くタイプは違うがフランソワが愛聴盤になった。フランソワのものは詩的で、水を眺める人の心を感じさせる演奏で、またこの遅めのテンポと独特のルバートをむしろ気に入っている。それはこの曲でオリジナリティを出して成功した数少ない演奏として価値があると思うから。もともと弦楽四重奏曲にしろ、ラヴェルの作品には官能的なロマンティシズムが静かに流れる演奏が魅力的だ。そのロマン性を認めない人も多いが、それは「もり蕎麦につゆを余りつけずに食べる」わからず屋のようにしか思えない(笑)。 アナトリー・ヴェデルニコフ(ANATORY VEDERNIKOV,1920~1993)のものは、「水」というよりは「花火」を思わせるほどのもので、また新たなこの曲への感興をあおってくれた演奏だ。 ![]() 親を殺され、体制下で全く無名なピアニストとして過ごさなければならなかったこの実力者の本音の部分は、計り知れないだろう。「悲運なピアニスト」として、ここ10年注目されてきているが、本人にとっては「天国での苦笑い」ぐらいにしかならない。私たちはリヒテルとのアンサンブルでわずかにその名を知るだけだった。次々CDが復刻されたが傾向がはっきりしているだけに、世評のようにどれもこれも良いとは思えない。まずこの人の演奏に「色気」とか「素敵さ」とかいうものはない。技術的に優れているので「メフィストワルツ」や「パガニーニ変奏曲」での輝かしさには説得力があるが、上っ面で聴けば確実でゆるぎなく完璧だがそれ以上のものがないようにも見える。例えばベートーヴェンのソナタでも人間愛を歌い上げる温かみやユーモアを欠いているし、ブラームスの小品や「交響的練習曲」での情感不足には不満があって当然だろう。しかしフランス物を聴くに至ると、その演奏の性質を別の面から捉えられる。「クープランの墓」でも舞曲ものよりは「プレリュード」のようなものがよい。すなわち純音楽なのである。わかりやすく言うと、音楽を通して何かの景色やイメージ等を与えようとしない、音楽・音のみの空間に封じ込めるスタイル。例えば「沈める寺」は学生でももっとイディオマティックに映像的に弾ける。しかしそれを打ち消した「無の状態」で弾けるのが凄い。イメージに左右されない高度な純音楽的表現とも言うべきこのスタイルは「月の光」にさらに明らかだ。遅いテンポの中に「無」の境地を描いていくのは、あきらかに異端ではあるが非凡としか言いようがない。 リヒテルが彼のドビュッシーを絶賛したというが、同じ「月の光」でこのスタイルを真似ているようにも思えて納得する。 そんな中で文句なく素晴らしいのは「デルフィの舞姫たち」とフランク(ヴェデルニコフ編曲)の「前奏曲、フーガと変奏」だろう。この奥行きの深い名演奏を前にしては、誰もが無力になる。加えてヴェデルニコフの最大の美点は音だ。強音の時の伸びやかな輝かしい響きは、ピアニストとしての圧倒的な説得力を持つ。これによって無類のスケールの大きさを描き出し、大曲の構成も可能となるわけで、ロシア物やヴィルトゥオーゾピース等にも名演を生む。例えば「アナカプリの丘」等でも、色彩的ではないのに光に満ちた喜びが表現されてしまう。同じことが「水の戯れ」にも言えて、戯れならぬ音の輝く洪水によって、この曲の純音楽的な表現とピアノという楽器の魅力の昇華に感動するのである。以前ホロヴィッツがラヴェルを弾いた時、小柄な男が近づいてきて「あなたはまるでリストのようにラヴェルを弾きますね。でもそれが正しいのです。私がラヴェルです」と言われたという。このラヴェルの発言の真意が、このヴェデルニコフの「水の戯れ」の中にあると思うのは、私だけではないはずである。 最近の演奏家の演奏水準は恐ろしく高いので、頭の中で考えた理想の音楽というものに出会えることも多い。しかし好きか嫌いか良いか悪いかは別問題で、本来、考えもつかない想像を超えたその人にだけしかない個性的な世界を描くのが、アーティストの仕事ではなかろうか。そういう意味でアーティストと呼べる最後の世代に属している。 しかし古い世代とするならもっと強烈であって欲しいし、現在のピアニストのカテゴリーにあってはまた単彩である点、また一部の素人には神格視されているものの、一見深遠であるかに聴こえるのであろうベートーヴェンのピアノソナタも、楽譜のアーティキュレーションなどの再現が曖昧で実はよろしくない。このピアニストが再び幻のピアニストになってしまうことも、非現実的な話ではないかもしれない。
by masa-hilton
| 2006-06-07 00:13
| 大ピアニストたち
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