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演奏の解釈、その思いと正しさ・・・ショパンの弟子ミクリの生誕200年を前に

よく聞くのは「あれはベートーヴェンじゃない」とか「正しいシューベルトじゃない」とかいう言葉。こういうことを軽く口にする人ほど、ほとんどの確率で真理とは遠い。死人に口なしをいいことに、偉そうなことを言っているにすぎなく、本当は知れば知るほど「正しい」などとは言い切れないものだ。畏怖を感じ、年齢とともにむしろ謙虚な気持ちになっていく。正統を口にする人ほど、例えばバルトーク、ストラヴィンスキー、R・シュトラウス、ラフマニノフなどの作曲者の自演には懐疑的であったりするので、そこで論理は破綻している。結局何もわからないということだ。

何もわからない!ということは恥ずかしいことではなく、それが基本となる。おまけにショパンのような人だと、ことあるごとに楽譜を書き換えてしまうので、答え自体も1つではない。私たちは譜読みして弾けるだけなら3日もあれば何でも弾ける。仕事としてそういうタイミングを求められることもあるけど、なるべく多くの時間をかけなければならない。それは正しい解釈と言われているものを知り、表面だけでなく深めたいということもあるが、演奏そのものに歴史と流派もあるし、各人の持つ個性もある。その広い選択肢から、可能性と結論を見出すための時間と言って良いだろう。昔の先生は「人の演奏を聞くな」とよく言っていたものだが、それは愚かなことだ。普通にまず50人は聴きたい(笑)、じっくりと。そこからも伝統の継承というか、真理も見えてくるからで、楽譜も然り。楽譜こそだね。なるべく多くのものを見るべきだろう。

だから1年かけて弾いて、さらに1年か半年休んで、また1年弾いて・・・・みたいな、煮込み料理のような勉強が効果的。私のようなものでも、これまでレコーディングしてきた曲は皆そうしたものばかり。専門家によれば「さすがに完璧だ」と褒めてもらえるディテールにこだわっている、それがあたり前で心がけの1つだ。そんな次のレコーディングで考えているものに、ショパンのプレリュードがある。ショパンの最高傑作でもあり、演奏者のファンタジーと質が試される曲でもある。これを、ショパンの弟子であるカロル・ミクリが来年生誕200年を迎えるので、ミクリの版で演奏するのはどうか?ということを考え中。

a0041150_20524680.jpga0041150_20531632.jpgショパンは先ごろ亡くなったエキエルのナショナル・エディションがまとめられて以来、逆に楽譜に対する考えかたが物議を醸している。本来なら自筆譜に基づく原典版という流れで、誰もがそれに従いそうなのであるが、そうでもないのは、まずはエキエルの演奏に説得力がないので(笑)、パデレフスキやコルトーなど、あるいはルービンシュタイン、個性的なホロヴィッツやソフロニツキを前にして、全く魅力そのものがない。同時に長年親しんできた流れというものがあるので、今日からこれだ!と言われても、簡単には従えない。ショパンには国によっての流派もあるばかりか、ショパンその人もレッスンのたびに書き換えたりと、わりとラフな姿勢を見せているので、そこに縛りも効きにくい。ヘンレ版なども新版を出して来るので、原典版の研究は年々進んでいく。同じことはベートーヴェンにもあるけど、すでにバックハウスやリヒター=ハーザーなどによって、ゆるぎない名演が遺っているのに、それを打ち消して上書きするような新しい研究というのには、正直抵抗がある。バックハウスなどの演奏を継承することもまた、1つの演奏家の在り方のようにも思う。ベートーヴェンでもそう思うのだ。

そのベートーヴェンを弾くと、誰しも経験するのが「ここはベートーヴェンが書いたペダルです」というやつ(笑)。どの曲にもそれはあるのだけど、わかりやすく言うと「テンペスト」や「ワルトシュタイン」などなど、どんなに濁ろうが1つペダルで踏みかえナシに踏み倒して弾く(笑)、あれである。そしてこれは作曲者の指示ということで、逆に濁らないようにきれいに踏みかえようものなら違反行為になって、コンクールなどではほぼ確実に減点される。濁らずに完璧に踏めるのはピアニストの優秀さを示すものだから(笑)、不思議って言えば不思議で、でもそれが正しいから!と言われれば従うしかない。

最近はこれがショパンにも適応されつつある。ショパンの自筆譜に示されたペダリングは個性的で、高い音楽性なしには出来得ない優れたものではある。そしてそこにはっきりと意図が示されているので「その通り踏むのが常識だ」と言えば、これもその通り。ムジカルタで会った教授もその意見だったし、まさに正しいことだ。しかしショパンの時代の楽器と現在のものでは、明らかに性能が違う。また多彩な音色を示せる技術のピアニストがいて、それらの条件を知れば、あの書き足しをこだわらぬショパンのことだ、平気でペダルぐらい書き直したであろうとも思える。ポーランドの演奏家でも細かいペダリングを強調する人もいるし、ノンレガート的なタッチで弾くフランスの流派ならば、当然ペダルは魔法のようなテクニックを必要とする。はっきりしていることは、大まかなペダルは当然音色の変化が乏しい。音色に個性があるピアニストならば、自筆譜のようなペダルを踏んだら非常にもったいない。そのペダル云々以上に、ショパンの音楽世界を明確に表出できる術があるということだ。

私は常々パデレフスキ版を推奨してきてはいるが、自分が弾くときには、曲によってはミクリの版を使っている。理由は味わいの違い。音が理屈に合わない場合もあるし、明らかに原典とは違うことが多いし、何しろアーティキュレーションが全く異なるので、これでコンクールなどに行ったらまずは受からないだろうと思う。ミクリはショパンの弟子ということで、その演奏法について実際にショパンを身近に聴いていた立場で、いろいろなことを伝承している。そのアーティキュレーションの違いが、時に、新鮮にアンティークな風情を起こす時があったりするのも納得だ。エキエルばかりではなく、ジェビエツキの系統はミクリの流派に対して意識的に否定的だったように思うので、例えば弟子のコチャルスキのようなピアニストまでが、そのあおりを食っていた。

a0041150_20534716.jpga0041150_20541699.jpgコチャルスキについてよく言われるのは、ショパンのルバートに対する考えかた。大きな木の幹は動かないが枝葉は動く・・・みたいなことで、左手はあまり動かず右手が自由に歌う。これがコチャルスキの弾き方だというわけ。右手と左手がズレズレになるのは、パデレフスキだってラフマニノフだって、コルトーだってそうだから、何もコチャルスキの専売特許ではないし、彼の演奏の魅力を伝えることではない。ミクリの弟子で現在その演奏が聴ける人と言えば、このコチャルスキ以外にもローゼンタール、ミハウォフスキなどがいる。この3人に共通しているのは、速い部分での夢のような軽やかなタッチ。先ほどのルバートの件は、カンタービレな歌の歌わせ方のテクニックの1つだから、より注目したいのはわかるが、本来はこの軽やかなタッチが重要だ。なぜなら現代のピアニストにはない、失われてしまった味わいだからである。このタッチがもたらす独特の香りは、おそらくミクリが伝えたショパンの持ち味なのだろう。

ミクリのやり方には彼なりの味があったと思うのだが、当時のピアニストたちはみんなそれぞれに、そのやり方を理解していたのである。例えばレシェティツキのピアノ・ロールも、ショパンの伝承の装飾を使って弾いているので、当然そのタッチもショパンのものと通じていたに違いない。プーニョのタッチもフランス派のピアニストの流派のそれとも思えるが、もとはショパンの弟子マティアス門下であるので、伝承されていたはず。同時代であれば当然のことのようにディエメ然り、パハマン然り、続くコルトー然りである。このブログでも何回か取り上げたが、コルトーがメンゲルベルクと共演したショパンの協奏曲に、それははっきりと示されていた。コルトーの正規の録音はオンマイクということもあり、その本当の味わいまでは録音されていなかったというのが、このオフマイクな録音で見えてくる。ついつい我々は日本人だから、フランスの粋な部分をコルトーに見てしまうが、さすが大ピアニストの彼はミクリ以来のタッチを身につけていたのだった。ミハウォフスキ門下にはヴェデルニコフやネイガウスがいるのが面白い、こちらは別物になっているよね、やはり時代的な環境か。

さてミクリ版、プレリュードに関しては一番大きな問題というか、それは24番のメロディだろう。普通はこちら。
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ミクリ版はこれ。めったに聴かれないし聴き慣れないが、これで弾いてみると感情は入れやすい。
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このように弾いているのは誰もいないと思いきや、ルービンシュタインがいた(笑)。ま、ローゼンタール門下だということを考えると頷けないこともない。さてこうした問題点も含めて、私のプロジェクトを人はどう思うのだろうかと(笑)、いささか気になってきたので、最もこういうことに詳しい人・・・・といえばピアニストであり研究者でもある下田幸二さんだ。さっそくメールをしてみる。

「時流に逆らうような馬鹿なことを考えてる」と呆れられたのだろうか? 1か月以上返事がない!!(笑) それも仕方がないなと思っていたら、来た来た!!来ました! いや、これは・・・・本の執筆でもないのにお時間をとらせてしまって、マジに申し訳なかった~。なんて丁寧な、そして的を得た見識だろう。さすが信頼に足る!ご許可を戴きましたので、一部引用してみよう。

ミクリ版の件、なんとお答えしたらよいか困っているうちに時間がたってしまいました。申し訳ありません。ミクリ版での録音とのこと。歴史的価値はあると思います。ただ、現代は、ご承知の通り、ナショナルエディションやペーテルスのニュークリティカルエディション、ヘンレの新版などにより、原典研究が大いに進んでいます。ミクリ版は、自筆譜と初版譜をもとに、「ショパンの間違いと『ミクリが考えた』多くの訂正」を入れ、またミクリが弟子として聴いた「ショパンの演奏スタイル」を楽譜に記入した版と言えます。

そう、そこが引っかかるところ。やはり生きた伝統の継承を考えると演奏の伝統の継承も必要。独特な味わいもあるので。きっとミクリ自身は情報の集め方に問題があっただけで、原典版みたいなものを作りたかったのかもしれない。

例えば、バラード第3番ですが、よく問題になる第102小節1拍目のタイによるEs音掛留をミクリはナチュラルを付けてEに訂正します。それは右手第5拍に現れるE音により生ずるEs-E間の和声的対斜を避けるためですが、しかしこれは正しいと言えるでしょうか。Es音のタイは自筆譜を見ても明らかで、ショパンがそこにナチュラルを忘れたとは言い難いと思います。E音は確かに協和的にすっきり響きますが、ショパンはタイによる掛留音により第5拍と生ずる程度の対斜はむしろ美しいと感じたのだと思います。
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ここはパデレフスキ版もEsになっているので、たぶんコンクールなどに出てきたらEsで弾かなければ、私も点をあげないと思う。でも私自身がどう弾いているかというと、Eで弾いている(笑)。そのほうが色が出るので。恋に落ちるような情感が出るではないか。そして「説明しろ」と言われればコルトーの意見と同じ。
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コルトー版もミクリ版と同じEだ。前小節のEs音が本当はDisの役目をしていると考えられ、どうしてもこちらが自然だと言っている。もっともな感じだが、この意見は胡散臭い。胡散臭くてもだ、色が出るほうを私はとりたい。これゆえに私はバラードの3番はコルトー版を使用しているのである。185小節からの「呪いのホルン」と名付けられているテヌートの強調も採用していて、これは演奏には効果的な暗示を与えてくれる。
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しかし26小節目からの両手の分散和音の、このアーティキュレーションはさすがに使えない。残念ではあるが。
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こちらはパデレフスキのものが圧倒的に音楽的。そして美しく自然だ。
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また、バラード第4番においてはナショナルエディション以来近年よく問題になる第124小節の短9和音(減7和音)の長9和音化は、ミクリは常識的な短9和音(減和音)の響きにしています。これは頷けますし、私もそう思います。ただ、私はエキエル先生主張のFes-Es-C-B-F-EsというAs-durの音階音化した長9はないにしても、自筆譜どおりのFes-Es-Ces-B-F-Esの最後だけ長9化する可能性はゼロではないとも思っています。
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ここについては自筆譜で弾いていた。そのほうがずっとロマンティックではないか。バラードの4番は基本はパデレフスキ版の使用だが、この部分に関して言えばアーティキュレーションのことが気になっている。2音符ずつの小さなスラーだが、これがない、1つスラーだけの楽譜がある。小さいスラーがないと、次の旋律が踏ん張った感じにならないので、より抒情的な表情が導き出される。さてどうしたものか。

一方で、ミクリが書いた「ショパンの演奏スタイル」、つまり多くのサロン風のアルペッジョなどはどうでしょう。例えばバラード3番の第88小節からの一連の右手のアルペッジョなどは、出典がはっきりせず、果たして楽譜にすべきであったのか。たとえ、ショパンがそのように弾いたのをミクリが聴いたことがあったとしても…。さらに一方で、バラード第3番や舟歌のペダリングはショパンの綿密な自筆譜によっており、たいへん見やすく正しいと思います。しかし、幻想曲は自筆譜が参照できておらず、パデレフスキ版同様大きな問題があります。

ペダルに関しては私は常に細かく踏んでいくので、いずれにしろあまり影響は受けないけど、バルカローレに関しては自筆譜のペダリングはとても音楽的なので、まずは把握できるまで練習してみることが必要だと思っている。

他にも音、フレージング、ペダリングなど、原典研究として重視すべきことに、現代となってはミクリの楽譜は遅れている部分も残念ながらあると考えます。あえてミクリ版を録音なさるというのは、なにか歴史的なものや原典研究との相違などの意味付けをなさるのでしょうか。たいへん面白いとは感じますが、相当のご覚悟のいる録音とは思います。

プレリュードで言えば、細かいことだけど、例えば11番のこういう感じの差が、かなり違うニュアンスを呼ぶ。こちらがパデレフスキ。
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ミクリの版は独自のものだが、これはむしろ良いニュアンスが出そうだ。
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ラストの前打音の右か左かも微妙な影を落とす。終わりかたのアーティキュレーションはいかがだろう?いずれも下が、ミクリの版である。
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下田さんに大感謝。またこうしたお話がいろいろできれば楽しい限り。私は返事で「学問ならば新しい発見や、新たな証拠が見つかれば、以前の説は否定されて上書きされてしまうが、音楽は解釈だから、その時代の演奏や流派の歴史そのものだし、何しろ心が通うものだから、正しい正しくないは別として、失われてしまったらそれは寂しいんです。」と書いた。演奏される下田さんだからこそ「それ、よくわかりますね~~」という返事で、これも嬉しかった。

おそらくミクリが生誕200年なんて誰も気がつかなかっただろうし、私が書くまで、それについてのアイデアを持っていたピアニストなんて・・・・きっとひと握りだったろう。シャーマー版は非常にお安い楽譜でもあるので、ぜひミクリ版もご覧あれ。消えゆく伝統を失わないために、私たちはいろいろな思いで演奏を続けていければと願っている。ちなみにミクリの弟子にはアスケナーゼ教授の母親もいる。アスケナーゼは母に手ほどきを受けて、ザウアーに習っているので、その演奏に色濃く影響が遺っていない感じもあるが、ショパン弾きとして有名だったしアルゲリッチなどを教えている。そうか、アルゲリッチはミクリ派でもあったのか(笑)。


by masa-hilton | 2018-09-27 10:51 | 音楽・雑記

プーランク「ナゼールの夜」のナゼ~?

早いもので私の新しいCDのリリースの準備が始まりました。レコード会社のほうからメールが来て、そんな時期かとちょっと慌てました。まだタイトルも考え中ですが、レコーディング自体は終わっていますので曲は決定しています。月刊「ショパン」の表紙の写真の時でしたね、何とも華やかにお知らせさせていただきました(笑)、すみません。こうして新しいCDがリリースできますこと、皆様に心から感謝いたします。本当にありがとうございます。

曲は告知の通り、シューマンの「謝肉祭」、スクリャービンの「ワルツ」、プーランクの「ナゼルの夜」です。いずれも大好きな曲ですが、演奏会やレッスンなどを通して私が弾いたのを聴かれて「ぜひレコーディングを」と要望が多かった曲を並べました。選曲についてのエピソードやシューマンについては「ショパン」のインタビューでお話ししましたので、ほかの2曲についてはここで。

スクリャービンの「ワルツ」は、本来は変態系といいますか「くすぐり」系といいますか(笑)、エロティックな陶酔的な情感満載の作品ですから、特殊な個性のピアニストが選ぶような曲でしたが、最近は日本人もしばしば弾く曲になっているようで。色彩感のある演奏が求められますから、とても弾きがいのある作品です。

「ナゼルの夜」はプーランクならではのお洒落でアイロニーも込められた魅惑の作品で、そこに魅入られて取り上げられることも多いものですが、あまり良い演奏に出会えることの少ない作品。とにかく演奏してみると難しいのですよ。よくまとまっていない演奏を耳にしますが、それは無理もないことです。構成力、説得力、ストーリーテラーのような色彩感、加えて音の切れ味も必要なので、ホロヴィッツのような「極めた人」に弾いてもらいたい曲ですよね。テーマのない変奏曲、人物の描写、人間性の裏表、心の仮装パーティーといったところ。

「ナゼルの夜」という題名ですが「ナゼルの夜会」「ナゼルの夕べ」「ナゼールの夜」とも。最近は「ナゼールの夜」でしょうかね。CDの表記は「ナゼール」にしておきましょうか、考え中。

プーランク : ナゼールの夜(前奏曲、8つの変奏、カデンツァ、終曲)


前奏曲 Preambule

変奏1.分別の極み Le comble de la distinction

変奏2.手の上の心臓 Le cœur sur la main

変奏3.磊落と慎重と La desinvolture et la discretion

変奏4.思索の続き La suite dans les idees

変奏5.口車の魅力 Le charme enjoleur

変奏6.自己満足 Le contentement de soi

変奏7.不幸の味 Le goût du malheur

変奏8.老いの警報 Lalerte vieillesse

カデンツァ Cadence

フィナーレ Final

前奏曲の後「カデンツァ」が続きますが、そこにチャプターはつけないのが定例です。この日本語訳も独特ですよね。これナゼ~?です。誰が付けたのかな?非常に皮肉ぽくダークサイドを照らす感じがします。この曲の1つ1つが実際の人物をモデルとしている「肖像画」なのですから、悪意すら感じるものです。ピティナのHPでもこの悪意ある意地悪バージョンが載っていますが、その昔にポール・クロスリーの全集等には異なった訳があって、これを使う人もいます。


前奏曲 Preambule

変奏Ⅰ.やんごとなさの極み Le comble de la distinction

変奏Ⅱ.つつみかくさぬ心 Le cœur sur la main

変奏Ⅲ.無遠慮と遠慮深さ La desinvolture et la discretion

変奏Ⅳ.一途 La suite dans les idees

変奏Ⅴ.心をとろかす魅惑 Le charme enjoleur

変奏Ⅵ.自己満足 Le contentement de soi

変奏Ⅶ.不幸せの風味 Le goût du malheur

変奏Ⅷ.年をとっても明るく元気 Lalerte vieillesse

カデンツァ Cadence

終曲 Final

この二つの邦訳は両方とも誤りではないそうなので、どちらを表記するか迷います。本当はただの日本語訳だからどうでもいいのです(笑)。超めんどくさいですね~。ただうっかりするとイメージ変わってしまいますよ。それにこれを2つつきあわせてみると興味深い物も見えてきます。

「前奏曲」は舞踏会のような華やかさを持ったワルツのような楽想ですが、これだけの人間臭いものが後から続くオープニングですから、退廃的な空気の中で短絡的な官能さを求めて弾きたいものですね。「プレアンブル」は「前口上」というか「序文」のほうが正しいと思いますね。ここはシューマンの「謝肉祭」にならって「前口上」でも良いはずなのですが、これは「前奏曲」なんですね(笑)。これもナゼ~?です。メロディにふっと灯がともるように、弾きたいですね。


このあとにプーランクお得意のアラビア風の音遣いのカデンツァが入ります。最初の曲がエピソードで、それに続いてこちらが前口上なのかもしれませんね。そういう風に弾けないと謎の曲になってしまいがちです。

「分別」は「思慮深い」ことだし「やんごとない」は「高貴な」ことだし、ちょっと違いますよ(笑)。曲が下品なチョコチョコした感じになっているので、皮肉っているのはわかりますね。悪気もなくコソ泥が逃げていくような(夜這いに来た紳士でも良いですが・笑)そんな風情で弾ければ最高でしょうね(笑)。

「つつみかくさぬ心」と「手の上の心臓」は恋心であることは間違いないですが、「手の上の心臓」のほうが恋の不安や興奮を感じさせてロマンティックですね。二つ合わせると「もっと開放的な思い」にしないといけないかもしれません。ちなみにこの曲は昔「マイ・ロマンス」というCDに入れて、これが個性的なアプローチとほめられまして人気も高く、今回の全曲録音につながりました。

「慎重」なのと「遠慮深い」のはずいぶん意味が違うと思いますが、二極を意味しているのは間違いない。曲の感じでは「無遠慮と遠慮深さ」のほうが近い?オドオドしている感じが出せた方が高度だと思いますね。

「思惑の続き」と「一途」は曲もやや謎、まあ「思惑の続き」にしたいかな。

「心をとろかす」のが「口車」だというのが爆笑ですが、曲はとてもステキな曲ですし、フィナーレでも回想されてくるので重要な曲です。ベタベタではなく雄弁に語ることが必要ですが、魅惑された相手が時間が止まるように心が止まった、落ちた瞬間を表現したいですね。


訳が一致している「自己満足」は楽しげでいながら「からかい」が満載、これは問題がない「そのまま」ですね。「不幸せの風味」か「不幸の味」、自分が不幸をかみしめる?相手によって失恋でもさせられて・・・曲の感じからそんな風に弾く人が多いですが、目の前にいる悲しみに打ちひしがれた女性を見て「その姿を美しいと思い魅了されてしまった」なんていう、背徳的な感じを出したいと思うのですが、ダメですかね?子供には弾いてほしくない曲です。

「年をとっても元気」なのが「老いの警報」とくれば、これはかなり問題発言になりますし、モデルの人物の性格も想像がつきます。独特な背徳感は全曲に不可欠です。「フィナーレ」にはシャンソンを思わせる歌が、やや馬鹿らしくも高らかに導かれますが、これをこの世界の国歌のように弾きたいですね。あとは静かな夜の時間に溶けていく空気のすばらしさ。

a0041150_12461315.jpga0041150_15214630.jpga0041150_15593299.pnga0041150_15220410.pnga0041150_12481610.jpg多くのピアニストが弾いています。メシアンの弟子であるポール・クロスリーのプーランクは、日本では名演奏とされていますが、魅力を感じません。誠実なピアニズムというか、よく考えられた表現が垢抜けていないというか平凡というか、感覚的にマイナスになるので、できれば私は聴きたくないものです。プーランクの友人でもあり、名教授でもあるジャック・フェブリエの演奏はずっとスタンダードと評価されていますが、テクニックが弱すぎて伝わるものが少ない。やはりガブリエル・タッキーノの全集がプーランクの本質を伝えた最初の良い演奏だったかと思います。そしてパスカル・ロジェ、こちらは技術的にも現在のピアニストにひけは取りませんしセンスも良い。ここで一段と内容も豊かになり、現役バリバリのエリック・ル・サージュに至り、自由さも加わって充実してきました・・・・これが一般的な批評の評価でしょう。フランス人はニュアンスや絶妙な「いい加減さ」が良いですね。そういうものはプーランクには必要ですね。サンソン・フランソワも長生きしていたら演奏したかもしれません。聴きたかったなあ。

そのフランス人ならではの「いい加減さ」なのか、全く不可解なのですが、ル・サージュの弾く「ナゼルの夜」は1つや2つではなく、譜読みを間違えたのか?驚くほどの間違えた音であふれています。ほとんど曲が違うくらいの場所もあり。ト音記号やヘ音記号の読み違いもあり、これは編曲?いやいや、絶対に間違いの可能性が高いです。実に驚きです!確かにプーランクは彼自身が手が大きかったので、普通ではつかめないような和音があって、そこを簡略化して弾く場合もあるか?とも思いますが、百歩譲ってもこれはちょっとひどい。以前私が「メランコリー 」を録音した時にも、参考にル・サージュのCDを聴きましたが、もしかしたら譜読みギリギリでオタオタ弾いている?と、そんな風に聴こえてきました。もちろんプロだから高いレベルなんですが、彼のCD、実はヤバイのかもしれませんね。表現もやや粗めです。弾いたことがある人ならすぐわかるかと思うのですが、あまり言われていません。これもナゼ~!これが日本人だったらすぐ袋叩きになるでしょうが、外人ならばこれで推薦盤になってしまうのは、真面目にやっている音楽家が浮かばれない。こういうことこそ、きちんと評論してほしい!指摘すべきことだと思いますよ。

ロジェはバッチリ弾いていますが、それでも二ヶ所音が違っていました。それも調が変わってしまうような音の遣いなので、これもどうかと思います。一体何なんでしょうか?そういう楽譜があるのか?と悩んでしまいましたよ。さらにフェブリエ先生も音が違っています。先生はその上にミスタッチも多いので、これは実体がよくわからない(笑)。ただしタッキーノ先生も、フェブリエ先生と同じく違う音を弾いている部分があり、これこそ別の楽譜があるのではないか?と思ったり。あったとしても改定されてしまっているのです。今やフルートソナタ、クラリネットソナタ、オーボエソナタもみんな改訂されています。この改訂版の内容にも私は半信半疑、昔の版が良いとモーリス・ブルグさんも言っておられます。それでフェブリエ先生たちですが(笑)、彼らの違う音については、もしかしたら作曲者自身が彼らに「実はこの音だ」と伝えている可能性があります。私はここは慣例とみなして、実際にその方がより美しいので、フェブリエ先生の音を一ヶ所だけ反映させてみました。ちなみにこの二人の先生の音を変えている場所は、ル・サージュとロジェの音が違う場所とは全く別の場所。なので、若い二人は譜読みのミスかな?と思っています。

ト音記号とヘ音記号を変えて、きれいな音になっているのならともかく、無意味な不協和音になっているのはこれはまずいでしょ(笑)。まさにナゼ~?ナゼ~尽くしの曲(笑)。そんなのちょっと、他には見当たりませんよ。逆にそれぐらい自由に弾いていいのか、プーランク!!そんなことはない(爆笑)。そんなことはないんだけど、それ以上のものが大切な作曲家なのですね。


by masa-hilton | 2017-10-12 22:13 | 音楽・雑記

レコーディングに向けて

今月末、何と豪華!銀座ヤマハホールで新しいCDのレコーディングを3日間行います。今回はソロCD。デビュー40周年にリサイタルを行うのも良いのですが、記念に残るもののほうを選びました。

曲はお弟子さんや共演者、そして周りにいる人たちから「それいいね」「それもっと弾いて」とリクエストを戴いた曲の中から選んでみました。シューマンの謝肉祭、プーランクのナゼルの夜、スクリャービンのワルツです。全編舞踏会のような、夜会というか、インヴィテーションを差し上げるような感じの豪華さもありますし、夜のイメージもあり恋のイメージもあり、ロマンティックなCDが出来上がるのでは?と楽しみにしています。

個人的にはパーティーならば幽霊船の舞踏会のような(笑)、レトロな豪華さと怪しさや妖気が出れば良いなあと思います。スクリャービンのワルツと言えば今は「かわいい若い女の子もきれいに弾いている」ようなレパートリーですけど、これほどセクシャルなものと結びついている曲はありません。生あたたかい肌から立ち上る蒸気のような(笑)、昔のピアニストはその辺りをちゃんと弾けるんだから凄い。シューマンもプーランクもそのお祭りの中に実在の人物が登場してきますので、表向きはロマンティックでステキな描写でも現実感があり「明確な悪意」なども盛り込まれているのです。過去の名演奏家たちも、そこを捉えた人たちだけが「大人の演奏」というか、1つランクの上のものを弾いていると思います。なかなか手ごわいですね(笑)。実在の人、現実の行為そのものを描くということは、作曲者にとってはナマナマしいことなのでしょうけど、時を離れた私たちにとっては、まさに死者たちの舞踏会そのものになります。亡くなった人がパーティーに来ていて、キスをされた夢を見たことがありますが、その感触の冷たかったことが忘れられません。もしかして、その夢がこの選曲に結び付いたかもね(笑)。変なアニメの見過ぎかもしれません。

さて人形町は神田明神のお祭りの合同祭。小雨が降っていましたが、そんなことは関係ない。
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久松町や小伝馬町のほうでも、お神輿が!!
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江戸っ子ですが「お祭り野郎」ではないんです。性格はお祭り男っぽいかもしれないけど、人が集まるところが嫌いだし(笑)。人が集まるところが嫌いで、よく演奏家などやっていますよね。人間の持つ矛盾こそがすばらしい!人生そんなものです。

CDは年内にリリースの予定です。ぜひお楽しみに!!

by masa-hilton | 2017-05-14 15:25 | 音楽・雑記

ティッシュ

ある人から戴きました。これが誰かに似てるって言うんですが・・・・あえてピンボケにしました(爆笑)
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カメラ関係のお店? まあ、H店の広告じゃなくて良かったぜよ!

by masa-hilton | 2017-03-06 23:28 | 音楽・雑記

おかげさまで

新しいCD「メランコリー」は、コンサートでは即売が始まっていますが、おかげさまで大変好評をいただいております。本当にありがとうございます。

このCDには私がいつも弾いている曲、今まで長い間弾いてきた曲が多く入っていますので、そのことでもお客さまから喜ばれているようですが、私も長い間お付き合いを戴いているお客さまとの絆のようなものを感じることができました。これは何よりも大きな勲章です。演奏によって、自分の人生が色々な曲に彩られてきているわけですが、同じように感じてくださっている誰かがいて下さるって、本当に宝物のようなことです。心から皆さまに感謝いたします。
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リリースして本当に良かったです。これからも頑張ってまいります。

by masa-hilton | 2016-12-22 23:34 | 音楽・雑記

閑話休題

ところで、自己路線を貫くテレビ東京、アニメの主要チャンネルでもあり大好きなのですが、お昼にやっている映画の「サメ」シリーズのバカバカしさが群を抜いています。B級映画というが荒唐無稽、でもストーリーも一応あって(笑)。どこにでも出現、空高く(笑)、そして宇宙に舞うサメくんたちの勇姿・・・ここまでのバカバカしさは日本人には絶対作れないものかもしれません。

ピアニストは小さいPPPが出せるピアニストは、オーケストラも圧するような強い音fffも出せます。中途半端なフォルテしか出ないピアニストは、弱い音も出ない。これは単に指のコントロールと脱力の関係なんですが、それを思い出しました。

けた外れにバカバカしいものを思いつくような人たちは、心を揺さぶるような感動巨編も作れるのではないか?確かに国産の感動巨編は泣けない映画だったりもしますよね。突きつめることで初めて何かの境地がある・・・日本でも「わびさびの境地」や、歌舞伎などの芸の道など、十分にそれを感じさせる世界は数多くあります。やはりアーティストは、MAXに挑んではじめて真理が見えてくるのですね~~たいへん。

フレーフレー!テレビ東京!お昼の映画のセレクション!引き続き楽しみにしています~~!
by masa-hilton | 2016-07-06 16:28 | 音楽・雑記

はやりすたり

今どきだとバックハウスのベートーヴェンは流行らないんだそうである。現代人の好みと合わないのだろうけど、なぜ合わないのかもよくわからない。国民性もある。例えば私なんかは昔のフランソワとか好きだし、日本人は結構好きだよね、彼のこと。が、ご当地のフランスではフランソワなど遺物になってしまっていて、語る人も少ないんだそうだ。そういえば存命のころは神のようにあがめられていた指揮のベームも、近年は評価をぐっと落としているではないか。良いものは良いと思うのだが、よくわからない。

バックハウスは昔のLPのジャケットを見ると、小林利之や藁科雅美のような人が「武骨なベートーヴェン」と評していた。情感をすべて落として、その芯だけ、内容だけを示しているというようなことも。私は子供のころから全く理解できなかった批評だ。きっと今は意見を変えておられるのではないかと思うが、当時の「武骨」じゃないベートーヴェンというのは、ケンプのような人のことを言っているのである。しかしこれも不思議。テクニックのせいもあるが、抒情的な流れの中に突然の強いアクセントや、極端に短いスタカートを使うのはむしろケンプであって、バックハウスは貴族的な情感でくすんだトーンの中で、音楽的でないことは一切しない。映像を見るとさらに明白で、ピアノ協奏曲の第4番、特に第3楽章などは上品の極みともいうべき、ヨーロッパの香りに満ちていた。

もちろんケンプがシューベルトで示すような、すべてを許してくれるような慈愛の表情はないけれど、そのシューベルトでも伝統的な舞曲の要素や歌い回しによって、ケンプにはない民族的な喜びを奏でることができる。そしてこういう「味」というのだろうか、これはどう真似したって出るものではなく、失われた至芸の1つ。はやりすたりだけで論じてはいけないものだろう。

とはいえ、現代を生きる人間の好みがすべてを支配してしまう。その「今風な好み」って実は混とんとしているのでは?バーンスタインやショルティなどから、最後はアバドなんかで確立されてきた現代的な音楽表現の喜びは、これからどのような方向に行くか、やや試行錯誤中ではなかろうか。

で、本題なのだが、私は今どきの「コシのない極細の日本ソバ」が苦手なのだけど(笑)、これがけっこう人気らしい。そしてその良さが、全く理解できないで困っている。でも、理解できない人もまだまだ多いらしいので大丈夫、ひと安心(笑)。バックハウスのピアノはいつでも聴けるけど、フニャ細の蕎麦しか食べられなくなったら(笑)・・・・それは辛い!マジ辛いぜ!とまあ、本当にくだらない屁理屈の流れ!ごめんなさいね~(笑)。

「コシ」の強さ、私たちの好みのお蕎麦を出してくれる強い味方は人形町にもある。「うさぎや」さん。「蕎麦味噌」のようなアテもかなり旨いし、うるさい酔っぱらいはいないし、文句ないベストなお店。オープンの時から大好きだ。
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少し寒かったので「鴨南蛮」。これがまた旨いんだね、大好物だ。鴨の味も最高だけど見た目も美しく、女性客からは歓声も上がるんだそうだ。
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私はしょうが汁が苦手だけど、お昼どきは「かきたま」のような「卵のお蕎麦」が今は人気だということだ。次の対談、ここでやることにした。ぜひお楽しみに。
by masa-hilton | 2015-11-05 20:20 | 音楽・雑記

来た来た!やった!

出来た!の次は「来た!」で恐縮!ホロヴィッツの全集3番目が来ました。それは予告した通りです。

もっと音質の悪い、会場で盗み録りした録音か?と思いきや、本人の許可さえ出れば正規盤に流せる範囲のものばかりで、とても満足!実際のところ、この演奏の多くの部分が編集で、切り貼りされる「部分」、いわゆる材料として、私たちの知る正規の録音に使われている。それも明記されていて面白い。とにかくデカイ!厚い!LPレコードやレーザーディスクのサイズ、大昔ワーグナーの「指輪」とか買うとこんな感じだったよね。
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隣の楽譜が普通のピアノ譜ですから(笑)。ちなみに杉並公会堂の3大ピアノコンサートで金子くんと弾く「パリのアメリカ人」。これ、超難しいです。特にファーストのパート・・・私ですね(汗)。こちらもお楽しみにです。それでホロヴィッツ、でかい中身はお中元の缶詰みたいに(笑)、いや「鰹節セット」でしょうかね。4分割です。
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もちろんまだ全部聴いていません。時間かかるよ。まずは「クライスレリアーナ」がうまい!すばらしい!前の全集でも楽しめましたが、その前後の3種のライヴ。初日に近いほうはいつも慎重なホロヴィッツですが、今回はけっこう好きだな。ラフマニノフのソナタや葬送ソナタは良いのですが、シューマンのソナタ3、ベートーヴェンの28番のソナタがいっぱいあるのは疲れそう。逆にスクリャービンの5番は少なくてももう1つあるはずなんですが、それは入っていない・・・残念。今回の5番は2月29日のほうので、こちらはアンコールのスクリャービン練習曲も良いですね。お得意の英雄ポロネーズも、ワシントンのアンコールなどは気分良く弾いている感じが伝わります。また妙に個性的なやつかもあったり、得意な「花火」でも失敗しているのもありますので、ホントにライヴ感は満載。正規盤ではよくない「メフィスト・ワルツ」なども何種かあって、これはそれなりに面白いのもありました。まだ未聴ですがショパンの舟歌やバラード、ポロネーズの5番などもたくさんあって、きっとすごい演奏もあるに決まってます。期待大です。

ジョージ・セルにイヤミを言われて落ち込んでしまった話とか、悪意のある評論家のせいで演奏が出来なくなったりと、そんなエピソードも満載。演奏家の繊細な気持ちはこんな大物でもあるんですね。かと思えば、ルービンシュタインのコンサートに行って休憩時間に挨拶に行ったりしてるんですね。そしたら後半がボロボロになったらしい(笑)・・・・それは(笑)ホロヴィッツが悪いような。聴きに来られるのも嫌だよね、まして挨拶に来られるのも嫌です(笑)。

今回のは前回のカーネギーホール全集とは重なりがほとんどなく、良かったです。これも買って良かった!この2つだけにしておけば良かったんだよ。
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発売された正規盤集大成70枚組、これがもったいなかったなあ。処分したけど、ほとんど家にあったものばかりだし、あとの2つの全集とも重なっている。
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でもやはり上手い!なかなかこんな人はいない。彼ばかりではなく、昔の演奏家はホントに素敵だと思う。つくづく。

ちょうど現在はショパンコンクールの真っ最中だね、2次予選ぐらい?チャイコフスキーやリーズも終わって、若い人たちもみんな頑張っている。今はネットで実況が見れるから、賞をとったからと言っても安心はできないよ。昔は何も分からなかったから入賞=神だったけど、今は審査員の質や好みの偏向もわかるし、落ちても「下手だから落ちたのではない」ということも、バッチリ確認できる。点が集まらなかった個性派ピアニストたちも、夢を奪われないで済むよね、これは良いことだ。反面「もともと個性に順位はつけられない」ということになって、コンクールの存在意味そのものがフェイドアウトされることにもなるだろう。近い将来ね。

世の中はそうして変わっていくけど、いつの時代も情熱を失わずに頑張ることが1番だと思う。私も自分なりに頑張ろう(笑)!若い人たちは、ギンギンに頑張って!ね!
by masa-hilton | 2015-10-12 19:11 | 音楽・雑記

またしてもホロヴィッツ秘蔵録音が!

a0041150_1335519.jpg熱心なファンならご存知でしょうが、またしてもホロヴィッツの秘蔵ライヴが!今度は50枚組でリリースしますね。ファンとしては嬉しい・・・・もちろん買います。ですが、きっと天国のホロヴィッツ先生は怒っている!私はそう思えてならないです。亡くなってしまったら、本人の許可しなかった物が出てきてしまう・・・・これはある意味裏切り行為でもあるわけで。

今まで私たちが神のように思ってきたホロヴィッツのライヴ録音、昔からある正規の録音が「いくつかのライヴコンサートの音源を合わせて編集したもの」ということは有名です。でも前回の「カーネギーホール」での未公開ライヴのボックスを買ったら、それらが表に出てきてしまって。ひと口で言えば編集前の演奏はとても人間的、もちろん真似の出来ない至芸ではあるものの、我々が聴いてきたあの凄い演奏は、神様でもなければ出来ないんだな・・・・と悲しくもなりました。

専門家としては、「こちらのテイクをベースにして・・・・」と編集の中身もきちんと見えますが、それだけではカバーしきれていない部分も多く、きっとリハーサル録りや録り直しなどもあったのではないか?と思われます。

オン・テレビジョンでの「カルメン」も、ある日のテイクはドキッとする危ない場面もあったりして、これはショックでした。壮年期でも、クライスレリアーナの1曲目は危なっかしく、しかしより良くないコンディションの日のその曲に、魔法のようなニュアンスがあって感動してしまったり・・・・と。そうは言っても、もうメチャメチャ巧いんですけどね。

ま、かたいことは言わずに楽しめばいいのだよってことでしょうか?どうだかな?複雑な気持ちです。
by masa-hilton | 2015-09-01 01:41 | 音楽・雑記

若き日のバラキレフのイスラメイ

a0041150_0474335.jpgちょっと困ったことになりました。大変ご好評を戴いている「1979年のリサイタル」に続いて、2枚のアーカイブCDを出そうとしています。1つはライヴですが、もう1つは放送録音をまとめたものです。それが可能かどうかを、いまNHKと相談しているところなのですが、ある愛好家のかたがその秘蔵録音をユーチューブにあげてしまいました(笑)。

ロイヤリティを払われているとは思えないので、違法かもしれません。無断使用ですしね(笑)。きっと番組の権利を持つNHKサイドから、そのうちクレームが来てエライことになるとは思うのですが、私はどうしようかなあ?困るには困るのですが、こんな古い録音を大事に持っていて下さったことに、心からの感謝を申し上げたい気持ちもいっぱいなんです。

この録音はNHK「午後のリサイタル」の1980年の放送用の準ライヴ録音。まぁ、せっかくだからここ(笑)。

プロコフィエフのソナタ7番とバラキレフのイスラメイ、ショパンのマズルカを1曲弾いています。プロコフィエフもお気に入りですが別の録音もいくつかあるので、これを使うかはわからないですが、バラキレフのイスラメイは当時オンエアされたときもけっこう話題になった爆演なので、CDでのリリースを計画中なのです。あの当時は、ここまで思い切り弾ききると評価が分かれたりしたものですが、現代はランラン達の時代ですから、むしろ皆さんスッキリ受け入れて下さり違和感なく聴けるかと思います。

あの広瀬悦子さんにこっそり「どう思うか」聞いてみたら「最高にエキサイティング!」と言ってくれましたので、お世辞でも嬉しくなっちゃいまして(笑)、とりあえずどうするかを考えつつ、しばらくはこのまま保留にしておくことにしました。でも本当は困るのですよ(笑)、きっと他にも困っている方がいると思います。

(後日談) やはり次々にアップされてしまうということもありまして、CD化するにあたり色々と法的にもまずいので、結局私の演奏はブログ主さんにお願いして、ユーチューブから落としてもらうことにしました。
by masa-hilton | 2015-06-02 23:30 | 音楽・雑記